そして…1週間の滞在、最後の日の朝。
『私も本物のお嬢様になりたいなぁ…』

テーブルに肘をついて、何気なく呟いた言葉。

それさえ望月さんは聞きのがさない。

『何を仰います。貴女は当家の、唯一のお嬢様。大旦那様に縁のあるお方と聞いたら誰もが羨むほどでございますよ。ですから堂々となさいませ。』

朝食の食器を下げながら、片手で器用に紅茶のおかわりまで注いでくれる。私は慌てて姿勢を正した。

ティーサロンではなく、大伯父様の邸宅の一室にて。サロンでのお給仕が無いときはこうやって使用人らはお屋敷でのお勤めもこなしている。本当に勤勉なこと。

『ですがもしもお嬢様が、きちんと良家の子女としての作法、たしなみを身に付けたいとお思いでしたら大旦那様にお願いしてみてはいかがでしょう』

『何を?』

『お嬢様さえよろしければ、こちらの屋敷にお住まいになれば良いのです。お部屋は沢山ございますし、我々使用人らにしても、それは大層喜ばしいことにございます。お稽古事だって大旦那様は喜んで手配してくださるでしょう。』

『本当に?そんなことできるのかしら?』

『ええ。お望みとあらば我々手ずから何なりとご指導致しましょう。乗馬であれば厩舎担当の犬飼、弦楽器は花村、ピアノは…少々気分屋の気がありますが樹が達者でございます。お嬢様の不得手でいらっしゃる国語と作法につきましては御崎が適任かと。』

『話をきいているだけでワクワクしますね。なんだか夢のような話!じゃあ…望月さんには何を教えてもらえるの?』

『わたくし、ですか。そうですね、僭越ながらダンスなどはいかがでしょう。いざ素敵なお相手と踊ることになった時に困らぬよう、厳しく指導致しますので覚悟なさってくださいね』

想像するだけで楽しそうな日々。
思わずふふっと笑ってしまう。
そんな私の姿を見て、望月さんも柔らかく笑み、目を細めた。

『やはりお嬢様は笑顔が一番でございますね。嬉しそうな貴女を見ていると私ども使用人は満たされる思いが致します。』

『そんな、大袈裟な…』

『いいえ。お嬢様はお屋敷の花。美しい所作も時には必要でございますが、なにより貴女には蝶のように花のように麗しくいていただきとうございます。それが我らの願いでございます』

『蝶のように花のように…』

『ええ。蝶のように、花のように。貴女のお母上のように』

『ママ…じゃなかった、母を知っているの!?』
驚きのあまり思わず大きな声を出してしまった。が望月さんは微かに苦笑って頷く。

『今から20年ほど前のことでしょうか。当時使用人をしていた祖父に連れられて訪れたこの屋敷にて、まだ嫁がれる前の、貴女のお母上…あげはお嬢様にお会い致しました。私は十にも満たないまだはな垂れ小僧で…身の程知らずにも、あげはお嬢様に淡い恋心を寄せていたのです』

蝶々の刺繍の膝掛け。
それは。
揚羽蝶の名を持つお嬢様がかつてお屋敷にいた名残。

『貴女と初めてお会いした時、どこかで会ったことがあると感じました。貴女はお母上にとてもよく似ていらっしゃる』

すっ、と望月さんは膝をつき、下から私を見上げる形になる。とても優雅な所作に見とれるあまり、手を握られていることにすら気付かなかった。

『貴女を一人前のレディーに仕立て上げることができましたら、私の幼い恋心も報われるというもの。どうぞお早いお帰りを、お待ちしております』