小さい時、自分の名前が嫌だった。今も正直好きではない。でも、作家になる時迷わず本名にした。本名からしてペンネームのようだからだった。桜井田吾郎。「サクライダ」君とよく間違われた。いいえ、桜井ですと言えば相手は混乱する。え、名前は吾郎さんじゃないの?とくる。いえ、サクライ タゴロウと読むんです…。何度そう言っただろうか。五人兄弟の末っ子で、親が名前を考えるのが嫌にでもなったのか。吾郎だけでいいじゃないか。田はなんで付けたんだ。農家だったからか…。
読経が流れる中、母の遺影を見ながら色々な思いが過ぎる。父は数年前に他界した。母は昨日の朝亡くなった。結局、名前の由来は聞けなかった。兄達に聞けば知っているだろうか。母の死が近い事は長兄に聞かされて知っていた。見舞いに来る度に痩せ細る母。横に立つ妻のお腹は膨らんで行く。死にゆく命。育まれる命。
「母さん、俺の子供を抱いてくれよ」
来る度に母にそう言った。母は微かにうなづいた。お互い、叶わぬ夢だと知ってはいた。でも知らぬふりをした。母の余命を知った時、長兄は田舎に帰ろうと母に言った。長兄が、両親の家を守っている。しかし、母はうんと言わなかった。元気になったら戻るから。元気になったら…。
桜井田吾郎は、27歳で前途洋々たる青年だ。妻のケイは二人にとって初めての赤ん坊を妊娠している。二年前に結婚して、作家としての道も軌道に乗り始めた。
これから親孝行したかったんだ。
焼香の番が来て、母の遺影を真正面に見た。目の前が霞んだ。
母さん、今頃父さんの所に居るのかい?なんで俺はタゴロウなんだい?永遠に謎になっちまったよ…。