嘘から始まる、恋物語

「初日早々、お帰りにならないでください」

柔らかい口調で、冗談混じりに話しかけてくる。
20代後半か30代前半ほどの年頃、猫ッ毛の栗毛で少しフワフワとした髪の毛。
グレーのスーツに身を包み、ピカピカの革靴を履いている。
見た感じは若いが、一目で役員クラスの人間だと悟る。

『あ、すみません…。あ、あたし、間違えてきたのだと…』

慌てて、自分がなぜ来てしまったか説明しようとすると、彼ははて?とした顔で言う。

「相川カレンさん、ですよね?」
『は、はい…』

彼はよしよしという素振りを見せる。

「間違っていませんよ、私がお待たせしてしまったのです。」

申し訳ない…と、仔犬のように眉を下げ、それから案内します、と奥へ連れて行ってくれた。

間違っていない、そのことに一先ず安心する。
彼について行くと、そこだけパーテーションではなく、きちんと仕切られた…つまり、壁とドアで仕切られた部屋の前に着いた。

読み間違ってなければ、“社長室”と書いてある。
やはり、あたしがここにいるのは、何かの 間違いだ…と考えていると、ドアが開かれ中に入るよう促された。