本は好きだ。

 誰にも負けないくらい、好きだ。

 ……初めて負けたと思った。


「はぁ~っ! やっと出たぁ~っ!」


 一瞬、別の事と勘違いしそうになる声が響いた。

 それはもう馴染みの風景と化している。

 彼女はこの辺りに住んでいるらしく、数ヶ月~半年に一度の割合でこの本屋に来る。

 そしてお目当ての小説を見つけると、嬉しそうに手に取って慈しむように抱えるのだ。

 もう何年になるだろうか?

 ここの店員として働く前は客としてよく通っていた僕は、彼女がランドセルを背負っている時から知っている。

 たった一つ、そのシリーズにしか興味を示さない少女。

 それはとても不思議な光景だった。


「あぁぁ、でも読むのがもったいないなぁ…。次出るの、半年後って書いてあったし…」


 相変わらず、独り言が大きい。

 初めの頃は迷惑そうに彼女を見ていた他の客達も、もう大分慣れたらしく、『またか』とという顔で苦笑したり溜め息をついたりしていた。

 一生懸命、自分が気に入る真新しく傷一つない物を探す彼女の姿に僕は思わず笑んでいた。

 彼女の唯一の愛読書であるそれは、僕も昔から愛読していたものだった。

 それが、彼女を気に留めていた理由の一つ。

 初めて彼女を目にした時、誰にも負けないくらい新刊を喜んでいる姿を目の当たりにして……負けたと思った。

 多くを読み、満遍なく誰よりも本に愛情を注いでいると自負していた僕が、唯一それしか読まない少女に敗北感を抱いたのだ。

 悔しい気持ちもあったけれど、それ以上に、不思議な気分だった。

 それが多分、今でも僕が彼女を気に留める一番の理由。


「会計お願いします!」


 いつの間にか自分にとっての一冊を選び取った彼女は、相変わらずの笑顔でレジへやって来た。

 それを受け取り、レジに通して価格を告げ、カバーを掛ける。


「あっ! いつものカバーと違う!」


 驚きの中に嬉しさを含んだ声で、僕を見た。

 ……こんな風に目が合ったのは、初めてだ。

 彼女はいつもその本にしか興味がなかったから。


「ええ、先月から新しいカバーを導入したんですよ。うちは女性客が多いから、女性用にと」


 薄い黄色に優しい花のシンプルなイラストが入った、女性仕様のブックカバー。

 男性には従来のブックカバーを提供している。


「可愛いー! いいアイディアですねっ!」


 にこにこと話してくれる……僕だけに声を聞かせてくれるのが嬉しくて、ついゆっくりカバーを掛けてしまう。

 ちらりと彼女の後ろを見ると、並んで待っている客が二人。

 早くしなければとは思いつつ、ゆっくり丁寧にカバーを掛け終えた。


「お待たせ致しました、ありがとうございます。またお越し下さいませ」

「こちらこそありがとうございました! また!」


 そう言って店を出て行く彼女を見送った。

 彼女が次に来るのはいつだろう。

 あれの新刊が出るのは半年後……いや、そういえば外伝が三ヶ月後に出ると聞いたような。

 いつの間にか、新刊を待つ気持ちよりも彼女を待つ気持ちの方が大きくなっていることに思い当り、苦い笑いが零れた。

 とにもかくにも――。

 僕は彼女がまた満面の笑みを浮かべて来店するのを、ここで待っている。


*To next*