「いっ………、たぁ」


包丁が指先を掠めて、私は顔をしかめた。
最悪。………本日二度目の不注意だ。

「みーちゃん!?」

私の声を聞いて、隆弥が慌ててこっちに来る。

「大丈夫!?」

「………大丈夫よ」

たかが切り傷で、大げさな。
オロオロする隆弥を無視して、自分の鞄からポーチを取り出す。
絆創膏を一枚出して、左手の中指にペタッと貼った。

親指にも、数分前に絆創膏が貼られたばりだ。

……不器用か。
自分で自分に呆れてしまう。
料理中の上の空はなかなか危険だと、身を持って知った。

「どうしたの、何か今日のみーちゃんおかしい」


隆弥は心配そうに私を見つめた。

「元気がない……っていうか、何かふわふわしてる」

隆弥のくせに、意外と鋭い。

私は今日一日中、辻さんの事を考えていた。

辻さんとラーメンを食べに行って、流れに任せて自分の想いをバラしてしまったのは、つい昨日の事だった。

今日はバイトが入っていなくて、辻さんと顔を合わせなくて済んだのは不幸中の幸いだった。
だけど明日は土曜日で、休む訳にはいかない。

……昨日あれから、辻さんは何も聞いてこなかった。
少しよそよそしい雰囲気ではあったけれど、程よく世間話をふってくれて、私は動揺しながらも適当に相槌をうった。
駅で別れる時も、それじゃあまた土曜日に、とにこやかに手を振られた。

……誘導尋問みたいに想いを告げただけで、告白とはまた違う。
辻さんは優しいから、聞かなかった事にしてくれるつもりなのかもしれない。

だけどこんな状態で、今まで通りバイトを続けられるだろうか……。

昨日から、どうすればいいのかグルグルと考えていた。

隆弥は眉をしょんぼりと下げて、そっと右手で私のほっぺたに触れた。
そのまま人差し指で、私の目の下をなぞる。

「……ひどいクマ。寝れなかったの?」

「ちょっと、考え事」

「……誰の事?」

隆弥の大きな黒目の中に、自分の顔が映っている。

「誰の事考えてるの?」

「………隆弥の、知らない人」

私はぶっきらぼうに言って、隆弥の手を払った。
また台所に向かって行こうとしたら、グイッと隆弥に右手を掴まれた。

「………なんで」

振りほどこうとしても強く掴まれていて、私は隆弥を睨みつける。

「何よ、離して」

「なんで、なんで……?誰なの?ちゃんと教えてよ!」

「痛いってば!」

大きな声でそう言うと、隆弥はようやく手を離す。
だけど大きな目は、私を捕らえたままだ。

「……だから、隆弥の知らない人だって言ってるじゃない」

知らない人の名前を聞いて、何になるのだ。
私も変だけど、今日の隆弥も大概おかしい。

「……誰?」

それでもしつこく隆弥は聞いてくる。
会話になってない。……私は大きくため息をついた。

「……バイト先の人」

「なんでその人の事考えてるの?」

「何で、って………」

「ねぇ、なんで?」


……何だというのだ。
隆弥の様子がおかしい。
穏やかでも、陽気でも、しょんぼりもしていない。

……苛立っている?