ロスト・クロニクル~前編~


 刹那、声の主が誰か気付く。

 しかし――

 脳裏にその名前が過ぎった瞬間、心臓が激しく鼓動する。更に呼吸が荒くなっていき、肩で息をした。

 あの声音で再認識する、メルダース卒業後は学生生活とは違う人生が待っていることを。メルダースの授業内容は難しかったが、世の中に出る方が何十倍も苦しい。それに、甘いは許されない。

 それに故郷に戻り、就く職は尚更甘えは許されない。エイルは呼吸を整えると、ロレイヤを眺め花弁に触れる。それは微かに触れた程度であったが、花にとっては衝撃が強かったのか、一枚の花弁がひらひらっと地面に落ちた。

(故郷は……)

 この花弁のように、徐々に崩壊に向かっていく故郷。どのように建て直せばいいのか。どのように努力すればいいのか。いや、それ以前に未熟な自分がどこまで出来るだろうか――

 答えを求め考える度に、溜息が漏れる。だからといって、立ち止まっている場合ではない。エイルは自分自身に気合を入れるように頷くと、再び花弁に触れる。そして踵を返し、校舎の中へ戻って行った。

 多くの生徒が勉学を行なっている学び舎だというのに、誰ともすれ違わない。まるでメルダースにいるのはエイル一人ではないかと思うほど、学園全体に静寂が広がっていた。その時、先程の声の主がこの状況を作り出しているのではないかと恐怖心を覚えるが、目の前から一人の人物が現れた。

 学園の中にいるのは、自分一人だけではない。それが判明した瞬間、エイルは安堵の表情を浮かべていた。エイルがいる方向に向かって歩いてくるのは、生徒ではなく地理学を担当している教師。相手もエイルの姿を見つけた瞬間、目を丸くし軽い口調で声を掛けてきた。

「今日は一人ですか」

「誰かいないといけませんか?」

「いや、そういう訳ではないわ」

 その者は五十代前半の女性で、物腰柔らかでとても優しい教師として生徒の間では人気だった。普段はのほほんっとした態度を取っているが、生徒からの相談に対し的確にアドバイスしていくので生徒の信頼も篤い。実はエイルも何度も相談に乗ってもらい、アドバイスを貰っている。

 相手が「今日は一人」と言ったのは、普段エイルはラルフと一緒にいることが多いのでそのように尋ねたという。生徒達もそうであるが、教師達も彼等二人がセットと認識しているらしい。困った認識のされ方にエイルは苦笑すると同時に、ラルフと悪友の関係を築いていたことを改めて気付かされる。