ロスト・クロニクル~前編~


 しかし、ラルフはそれを許さない。

 立ち去ろうとするエイルの服を掴むと、行かないでほしいと必死で訴えかけてくる。

 こうなると、噛み付いた亀のように決して離そうとしない。

「何?」

「寂しいんだ」

「僕は、寂しくはないよ。それに勉強をするには、静かな方がやり易い。だから、お前は来るな」

「本の虫だと、身体に悪いよ」

 表向きはエイルのことを心配している発言だが、ラルフの表情にそのようなものは表れていなかった。

 本当のところは、実験を手伝ってほしい。

 そして、寂しいというのは本音だろう。

「心配しなくても大丈夫」

「エイルは、タフだね」

「お前の方が、凄いと思うよ。閉め切った空間で爆発を起こしても、普通に生き残っているのだから」

「あれは、慣れているから」

「そういう問題じゃないと思うけど。ところで、鼻血は平気なのか? 大量に流れていたじゃないか」

 その指摘に、ラルフは過敏に反応を示した。

 どうやら、転んで鼻血を出したということを忘れてしまっていたようだ。

 過去の出来事は覚えているというのに、つい先程の出来事は忘れる。

 まさかこの年齢でボケ――だが、相手はラルフ。

 何が起ころうとも不思議ではない。

 転んだ衝撃に、記憶が飛んだという可能性もある。

 だがラルフはポケットからハンカチを取り出し、鼻血を拭いていた。

 そう考えると「鼻血が出た」ということは、わかっていた。

「あっ! よくも」

 やはり、忘れていたらしい。

 そのことにエイルは呆れ、横を向いてしまう。

 非情とも取れる行動にラルフはスクっと立ち上がると、植木鉢をエイルの目の前に付き出し「キャシーちゃんに謝れ」と、言う。

「えっ! な、何で?」

「侮辱したからだ」

「鼻血の件はいいんだ」

 自分の身体のことより、食虫植物のことを心配するラルフ。

 ここまでくると、完璧に理解不能な行為であった。

 ある一定の範囲までならエイルは受け入れることにしているが、食虫植物に目が行ってしまうとは――

 ラルフは、人間より変わったものに愛情がいくようだ。