あたり一面が焼け野原だった。

駅近くのトタンのバラックからは、包帯をした人が何人も出入りしている。


「原爆」というものが落とされたことは、ずいぶん後になって知った。

100年間草木も生えないといわれた焼け野原が、目の前に広がっていた。