母は同棲や結婚資金にとアルバイトで貯めていたお金をすべて子供(私)との暮らしに回すことで、両親や父の稼ぎに頼ることなく、ある程度は一人で生活できた。

父はというと、『こんな機会二度とこないかもしれない、今諦めれば一生後悔するかもしれない。』と思いオーディション番組に出場することに決めた。
一生後悔するかもしれないと思う反面、落ちたら落ちたで諦めもつく。そうなったら母と結婚し、働き、幸せな家庭を築いていくこと出来ると、腹をくくっていた。どう転んでも心配ない。どちらにも代償はあるが、どちらにも得られるものはあった。

オーディション番組当日、バンド内で少し“いざこざ”があり、普段のように思い通りの演奏をすることが出来ず、演奏後は優勝を祈ることではなく、母と私のことを考えていたらしい。
結果、優勝こそ逃したものの、複数のレコード社からCDデビューの話があがった。どの社にするか悩んだ挙句、結局 この番組の主催者でもあり、最初に予選のオファーをいただいた東京が本拠地の社に決めた。
しかし、父は『こんなにとんとん拍子にことが運ぶものなのか?』と少しこの会社を疑うところもあった。
案の定、この番組は“デキレース”だったということを後日聞かされた。
本当は父のバンドが優勝するはずだったが、あまりにも普段と演奏が違いすぎていたので、優勝ではなくオファーという形にしたという。
それからしばらくはあまりテレビ出演などもなく、仕事の量もまちまちでバンドは将来性の不安から解散ということになってしまった。
その後は、母と半同棲状態を送り、 派遣社員として働く傍ら、地道に作曲家としての活動もしていた。