付き合ってくれる?

 そう言いかけた私に、彼は

「武者小路実篤」

「へ?」

「武者小路実篤の代表作知ってる?」

 何の脈絡もない話を振ってきた。本棚の武者小路実篤全集は確かに気になっていたけれど、このタイミングで話を振らなくてもいいじゃないかと私は半ば腹立たしく思いながらも考えたが、代表作品を一つも思い出すことができなかった。

「『友情』だな」

 彼が言った言葉を

「ゆう、じょう」

 私が繰り返す。

「そう、俺の言いたいことわかる?」

「ごめん」

「あやまるなよ」

 きっと彼は私が言おうとしたことに気付いて先回りした。

「ねえ、友情ってどんな話なの」

「それ貸してやるから自分で読め、ただし読書感想文要求するからな」

「ありがとう! 感想文は書かないけどね」

 私がそういうと彼はふっと笑ってくれた。

「もうそろそろみんな来る時間だし、お前も鍋食べたらさっさと帰れな」

「やっぱり私、鍋食べずに帰る。友情読みたいし」

「言うと思った」

 また彼に読まれてしまった。彼はドアの前まで私を送ってくれたが、靴を履くこともないし、もちろん私を引きとめもしない。
ほんの少し、ほんの少しだけさみしいと思ってしまう。でも、

「ありがとう、私ちゃんと伊吹と話し合うよ」

 この気持ちは

「おう、がんばれよ」

 心に秘めておくべきものなのだと。彼はきっと『友情』という二文字に込めたのだ。
 ドアを開けるとあまりの外の寒さに鼻がつんとした。
「じゃあ、ありがとう、おやすみ」

「おやすみ」

 ドアが閉まるのを確認して私はゆっくりとマンションの駐輪場に向かった。鞄には『友情』の重みが感じられて、目頭が熱くなった。