「失礼いたします」


そう言って姿を見せたのは、久しぶりに見た桜愛の姿。


「どうぞ、ご当主、お飲み物をお持ちいたしました。
 
 兄、闇寿がご当主をこちらへとお運びいたしました。
 兄は母屋には長く留まれぬ身故に、桜さま付の身ではありますが
 私がこちらへとお邪魔致しました。

 お隣に居ますのは、兄・万葉の婚約者、撫子にございます。
 私が席を離れる間、ご当主のお傍へとお願いした次第でございます」



ボクの身に起きた出来事を、わかりやすく説明した後
盆に乗せてきたお茶をボクの前へとそっと置く。



ボクの耳には、屋敷内に響くピアノの音色がきこえた。



「飛翔は?」

「華月様とお話し中です。
 お呼びいたしましょうか?」

「かまわない。
 もう暫く、ここでお茶をして待ってる。

 学校の宿題もあるから」

「かしこまりました。
 飛翔さまには、お話が終わり次第お姿を見せるようにと伝えておきます。

 撫子、後のお世話はお願いします。
 それでは、ご当主、私は桜さまの元へと帰ります」


静かにお辞儀をした桜愛は、ボクの部屋を後にする。



ボクの部屋の片隅、正座したままじっとボクの傍に居続ける撫子。




「撫子と言ったか?
 気負わなくともよい。

 ボクは初めて知ったぞ。万葉に婚約者がいたことを」

「ご当主へとのご報告は、正式に決まりましてからと万葉さまと話しておりました。
 今はまだ婚約者候補と言う形で、私が万葉さまの婚約者になるには
 総本家からのお許しも必要ですから」


撫子はそう言ってボクの方を微笑みながら見つめる。


「総本家からの許しは、つまりボクの許可と言うことか?」

「はいっ。さようでございます。
 改めまして、ご報告の仕度が整い次第、ご当主様の御前にて正式に
 お許しを賜れましたら、婚約者となることが叶います」

「わかった。

 万葉が幸せになれるなら、ボクに反対の意思はない。
 今この時から、正式に万葉の婚約者として振舞って構わない。

 今日は世話になった、撫子」



ボクの口からスルスルで零れ落ちる、当主としての染みついた言葉。
何時の間にか、ボクはこんな形でしか身内とは会話が出来なくなった。



何も出来ないこんなボクが、偉そうに徳力の当主を名乗り続ける。
そんなことが本当に許されていいのだろうか?




ボクがそれを許されるには、学問にも武術にも呪術にも全てにおいて
一族の頂点に立つことが求められるから。


その為には、ボクにはどれだけ時間があっても時間は足りない。


もっともっと必死になってボク自身を磨き続ける。