百物語

あの頃の俺は幼かった。

放送室のマイクを力いっぱいに握りしめ、目を輝かせたあの夏の日が懐かしい。

「さぁさぁみなさん!盛り上がってきたところで次の曲だよ!」

昼休みの校内に響き渡るは若き少年の声。

学校1のムードメーカーを名乗る彼の一番輝く時間だ。

今日も自分が考えた企画に届いたリクエストの曲に乗せて、お便りを読む。

そう。

まさにラジオのDJのごとく。

本日のお題は初恋の人の曲だ。

この曲を聞くと初恋の人を思い出す、初恋の人が好きだった曲、初恋の相手との想い出の曲。

そんなお題である。

彼は意気揚々と届いた便りを読む。

「えー何々?ペンネーム"探さないで"さん?名前からして笑わせに来てるだろ」

彼のツッコミに廊下を伝って放送室にまで笑い声が届く。

今頃どこかの誰かが赤面してるかもしれない。

そんなことを妄想しながら彼も少し笑い声をこぼした。

「さぁさぁ昼休みもあと五分!次が最後の曲だよ!」

流れ始めたのはとある女性歌手の曲。

甘酸っぱい恋の内容からして、女性が好みそうな曲調だ。

「えー。このリクエストを送ってくださったのはどうやら男性ですねー。きったない字だわー」

彼の言葉にまた廊下に笑い声が溢れる。

「ペンネーム"マイク"さん。二年間片想いしている人の好きな曲です。今日その人に告白をするつもりです。結果は聞かないでね?ハートマークまでついちゃってますよ」

彼の笑い声と共に廊下には冷やかしの口笛が響いた。

無事に放送を終えて彼は、背後を振り返った。

「お疲れさま!今日も大好評だったね!」

俺を眩しそうに見つめながら駆け寄ってきたのは、同学年のメガネちゃんである。

あだ名の通りの顔よりも目立つ丸メガネをかけた長髪の女子だ。

「おうよ!俺がDJやってんだ当たり前だろ!」

胸を張って威張る彼の横で、物静かそうな垂れ目の女性が静かに笑った。

「こんな後輩がいるなら安心して卒業できるわね」

「そんな寂しいこと言わないでくださいよぶちょーぅ。」

ほんの少し涙目になりながらも俺は部長に手を伸ばした。

そんな俺を部長は母親のような優しい目で微笑みながら、頭を撫でる。

もう見慣れた光景だった。

変わらないと思われてた関係。

だけど、それも今日で最後だった。

次の日俺の目は赤く張れていた。

部長は部活に来なかった。

「ねー。どうした?大丈夫かー?」

「メガネか…」

ニシシ…。俺は苦しそうに笑った。

そして俺は喋ってしまった。

昨日の最後のリクエストは自分だと。

そして結果は散々だったと。

「次は失恋のお題にでもするかー!」

苦し紛れの雄叫びをあげる俺の隣でメガネが俺よりも悲しそうな顔をしてうつむいていた。

あれから10年。

俺は変わらずマイクを握りしめて叫ぶ。

今や自分の言葉で盛り上げることは許されないが。

俺は念願だったラジオのDJになった。

今年に入って俺の持ち番組ができた。

とは言っても、俺の言葉は放送作家が書いた作られた言葉のみだった。

それでも俺は良かった。

まだまだ上に登ればいいんだ。

そう言い聞かせて俺は一度だって休みもなく働いていた。

そんなある日、俺の元に同窓会の招待状が届いた。

しかし運の悪いことにその日は俺の番組の日と同じだった。

俺は迷わず仕事をとった。

いつか、本当の俺の言葉で昔のあの時のような笑い声を聞きたくて。

「皆お久しぶりー!一週間ぶりの俺の時間だよー!さてさて今週のお題は初恋の曲!」

どこかで聞いたようなお題だった。

俺はもう決められているハガキを決められた順に読み上げる。

二枚、三枚と読み上げた後のことだった。

次のハガキを手に持つと、ガラスの向こう側でスタッフが流している曲を切り替えた。

乾き始めた俺の心が波打った。

あの曲だ。

今じゃ懐かしいあの曲。

あの女性歌手はとっくに引退した。

そこまで有名な人ではなかったから、今じゃCDを見つけるのも大変だろう。

だが、そんな曲が今流れている。

俺は台本に目を落とす。

いつまでも黙っている俺に、ガラスの向こうから放送作家の先生様が催促をする。

俺は目を疑った。

「ペンネーム"マイク"さん…。10年間片想いしている人の初恋相手が好きだった曲です。今日その人に告白をするつもりです。結果は聞かないでね…ハートマークまでついちゃってますよ…」

それは10年前と同じ瞬間だった。

ガラスの向こう側で放送作家様が、もっと元気よく!とカンペにかいて怖い顔をしている。

俺の目の裏に初恋の日々が浮かんだ。

━━部長。

「すごいっすねー!俺、昔放送部員でしてね? 結構人気があったんですよー。その時にもこれと似たようなリクエストもらったんですよね!いやー!こんな偶然があるとは!」

急に台本を無視して話始める俺に放送作家様は怖い顔で睨み付けてきた。

それでも無視して俺は喋り続ける。

「つってもそれ実はヤラセで、本当は俺のリクエストだったんですよねー。まぁ、その時は結局ふられちゃったんですけど!」

笑う俺に放送作家様は表情を変えずに、ただただ睨み付ける。

だけど、それは俺の目には入らなかった。

自由に喋る楽しさが俺の体を駆け巡る。

数分後、俺の放送時間は終わった。

その後、俺は放送作家様にこっぴどく叱られた。

軽く数十分雷を喰らった後、局を出てハガキに再び目を落とした。

こっそりと持ってきたハガキ。

俺は気づいていた。

ハガキの送り主を。

ペンネーム"マイク"その横にメガネのマーク。

本名なんてもう思い出せない。

顔よりも目立つ丸メガネ。

「━━メガネちゃん」

ケータイが俺に返事をするように着信音を奏でた。

タイミングが良すぎて俺は大きく跳び跳ねた。

ケータイを落とさないようしっかりと握りしめて、画面を覗きこむ。

一体何年連絡を取っていなかっただろうか?

懐かしい登録名。

"メガネちゃん"

「あー!やっと出た!あんた同窓会に来なかったでしょ!懐かしき我らがDJの話で持ちきりだったよー?」

けたけたと笑う声は昔と変わらなかった。

「あー。ごめん。現DJとしてお勤めしてきてたわ」

「知ってるよ」

メガネちゃんの声が少し低くなる。

「どんなリクエストが来たと思う?」

「懐かしい曲かな?」

メガネちゃんが電波の向こうで笑う。

「あたり。」

「じゃあこれも懐かしいかな?」

突然俺の背後から生の声が聞こえる。

「好きだバカヤロー」

そこにいたのは昔の彼女じゃなかった。

特徴的なメガネはかけてなかった。

長い髪も短く切り揃えていた。

だけど、俺を見つめる目は昔と同じだった。

眩しそうに見つめながら微笑む彼女。

「もっと自由に喋れよDJ」

俺は笑った。

後日、放送作家の先生が俺に連絡をいれた。

昨日のラジオはとても好評だったらしい。

いつもと雰囲気が違って親しみやすい印象だったと。

そして機嫌を悪くした放送作家の先生は、今週をもって番組を降りるそうだ。

一時は番組がなくなるかと思ったが、番組のファンから続けてくれと手紙が殺到したらしく、上の命令で作家無しで番組を続けることになった。

つまり、俺は自由に喋って良いことになった。

俺の言葉はカゴから飛び出した。

たった一人のファンが送った手紙のお陰で。

それは10年越しのラブレターだった。