「やあ、おはよう。カンナ」

夕方だけどね。

いつもそこにいる。

帝都学院の最上階。
リアル「秘密の花園」こと、立ち入り禁止の巨大温室。
把握しきれないほどの植物と巨大な本棚とそこに収められた膨大な数の本たちで、そこは構成されている。
自他ともに認める、ファンタジーの領域。

そこには、王子様が住んでいる。

「おはようございます。ケイ君」

夕方だけどね。

もちろん「王子様」なんて比喩だ。

本人いわく、学院長の息子、だから学院長が王様だとしたら、彼は王子様という位につくことになる。

そもそも他に例えようがない。

この部屋から一歩も外へは出たことがないと言う彼。
どう考えても、囚われのお姫様ならぬ囚われの王子様だ。

「今日も見事なコケっぷりだったね。最上階からも見えるなんてまさに神業だよ。」

この嫌味な性格と素晴らしくまとまりのついた毒舌がなくなれば、妖精とも例えられたろうに。

彼は、丸テーブルの上に肘をつきながら、クスクスと笑った。

私は少しムッとしながら

「それはどうも。これからもその神業とやらを磨いていけるよう、精進していきます。」

「ああ、そうしてくれ」

彼はとうとう声をあげてケタケタと笑い出した。

本棚と本棚の間をくぐって差し込める陽射しに照らされ、ふせぎみに微笑む姿は美しく、幻想的でどこか現実味が無かった。

その綺麗な顔で笑うのは反則だ。

・・・ため息しか出ない。

そもそも、彼に口で抵抗しようなんて、うまくまとめ上げられてしまうのを分かっていながら何をしているんだ、と今更ながら思う。

でも、時々いつも一歩うわてな彼に無償に腹が立つ。

「顔が怒ってるよ」

次は勝ってやる
と、息巻いたのは何度目か。







可愛らしい花柄のマグカップに入った紅茶を眺めてから、フッと思い立ったかのように彼をみやる。

丸テーブルの向かいに腰掛け、相変わらず肘をつきながら何処か遠くをみたような目をした彼。

飲食時に肘をつくなというのはもう言い疲れた。

「もうすぐ春だ」

「いいえ、まだ夏です。」

彼の時間の経過の麻痺を訂正するのも、もう疲れた。

「この温室が、という意味だよ」

桜の花びらが乗ったマグカップを見て、ああ確かに、と賛同した。

よくみれば、彼の視線の先にはまだ全然小さい桜の木が一本ある。

バラやらシーラカンスやら、とにかく海外から集めたもばかりのこの温室には、若干不釣り合いな気もしたが、なぜだか少し温かい気もした。

「あの桜、誰が植えたんですか」

何気なしに聞いただけだった。

「君が植えたんだよ」

思わずマグカップを口につけたまま彼を見つめた。

彼は優しく微笑みながら、私を見ていた。

その目は、慈しんでいるようで、慈愛に満ちていて・・・

私は恥ずかしくなって目線をそらした。

「私は植えてません」

少し口調が強くなってしまった。

本当に覚えがないのだ。仕方が無い。

「僕だって植えてない。そもそもこの温室には君以外入れた事がないんだから、僕じゃなかったら君だろう」

そう言う事か。

納得したわけではないが、彼が桜を植えるとも考えられない。

不本意だが私・・・なのか?

いや、それより

「私以外入れた事がないってなんですか」

ここは学院内だ。

そんなはずはない。

「言葉のまんまだよ。そもそもここは僕の住居だ。自宅にホイそれと知らない人をいれたりしないよ。」

まあ、確かにそうだが。

学院内の一部をそんなに簡単に選挙してしまって良いものなのだろうか。

ダメと言われても、もう遅いが。

「どうして私は入れてくれたんですか」

彼は少し、間をおいてからフッと微笑んだ。

「いつも言ってるだろう」

そう。
優しい優しい顔で・・・・・・


「君がアナザーだからだよ」


いつも理解できなかった。
理由にしてはかなり不可解な言葉だ。

アナザー・・・アナザー・・・・・・

「ケイ君。私気になってアナザーって言葉を調べて見たんですけど、あれ英語でもう一つって意味でしたよ」

「そうだね」

アナザー。
英語の単語で、直訳して「もう一つ」。
どう考えても、私がここに来ていい理由にはならなかった。

考えられるとしたら、私は何かの片割れなのか、それとも

「私は何かの代わりなんですか」

彼の手がピタリと止まった。

いつも冷静にかわしていた彼が見せた小さな変化。

ビンゴ。

が、彼はすぐにいつもの余裕の笑顔に戻った。

何だか少し、残念な気もしたが、それより先が気になる。

「こちらの都合だから。あまり気にしなくていいよ。」

微笑んでいる。

さっきとは違う、悲しい悲しい顔で、それでも微笑んでいる。

「自分がアナザーであるとだけ理解していれば大丈夫たよ」

納得できない。

「都合ってなんですか。理解って、ケイ君の事だから、あなたは出席番号なん番ですよー、みたいな軽い事じゃないんでしょう」

そうだ。

この偏屈で、つまらない事が大嫌い。よく言えば我が道を進むような男が、好きこのんで秘密をつくるはずがない。

そろそろ教えてくれてもいい頃合いだ。

それでも彼は、目を閉じ、頷きながら静かに聞いていた。

「うん。そうだね。そうだよ。でももういいんだ」

何が。

そう聞きたかったけれど、彼が時々見せる有無を言わせぬような圧倒的な存在感と雰囲気。

今がまさにそれだった。

「ほら、もうこんな時間だ。帰りな。」

そして彼はいつも、その場から動かず逃げる。

「はい・・・」

そして私もそれに従うのだ。






いつも通りの、寮への帰り。

結局、あのあとは普通に別れた。

今までに、何回かあんな事はあったけれど次の日には大抵「やあ、おはよう」と普通の朝だからあまり気にしない。

嘘。少し気にしてる。

もうあの話はやめよう。

あそこでは、お茶を飲みながら、静かに時間の経過をまとう。

ブロロロロロロロ・・・・・・

考えに浸っていると、少し後ろからこちらに向かって、外車特有のマフラー音が聞こえて来た。

この細い路地を外車が通るのは非常に珍しい。

滅多にない。

いや、全くなかったか。

だからと言って露骨に振り向くのがいけなかったのか。

パシャっ

夕焼けに照らされ、赤みを持った黒塗りの車がすれ違いざま、フラッシュを効かせ、カメラを向けて来た。

光が眩しく、とっさに顔を腕で覆ったが、時遅し、車はすでに次の角を左折した所だった。

ばっちり顔を撮られてしまった。

左側を歩いていた私にカメラを向けたって事は、車種は外車だが、ハンドルは右なのだろうか。

そんな事を考えながら、某然と車が消えた左折の道を眺めていた。






『間違いない。アナザーだ』