「あは。凄く紅いね、おねーさん。」

よしよしと頭を撫でられてついに
私は本当の限界を迎えた。


つまり。



「ではっまたっ!」









.....逃げた。
9個も下の男の子に負けて、32歳の私はその場から脱兎したのだった。





「逃げちゃった。」



くろが、私の去る姿を微笑ましそうにみているなんて知る由も無いのだった。










2LDK の独り暮らしには少し広い部屋の鍵を急いであけてなかに入る。


このあり得ない心拍数は走ったからか、
それともくろのせいなのか。
私は考えるのを一先ず放棄した。



着ていたものを自室で脱ぎ、部屋着に着替えてリビングにでる。
もう1つある部屋の扉を見ながら
お湯を沸かす。



ただの箱にしては中途半端に彼の痕跡の残る部屋。
部屋を継続する手続きをした矢先に
別れたから、私は未だにこのアパートに住んでいる。

彼がいなくなってから数ヶ月。
彼のものはもうない。
...いや、正確にはある。

二人で「お揃い」で買ったマグカップ、
お皿、はし。
記念日に「お揃い」の物を買うことにしていたから、結構な数が部屋に鎮座している。



最初のうちは諦めるとか、
忘れるとか、そういうことすら
思い付かなかったから
彼のものが残っていることに
違和感を感じていなくて。


でも、くろを見つけたあの日を境に、
彼がいないのに彼のものがあることに
戸惑いを感じるようになっていた。


けど、捨てられなくて
こうして普通に使っている自分がいる。
それにお皿もおはしもマグカップも
まだまだ使えるから捨て辛く、こうして
マグカップに、ココアを注いでるわけだけど。


何か、これって自らの
首を苦しめる行為に入るのかな。

マグカップに描かれたベタなハートの片割れを眺めて考える。