新緑の癒し手


「どうした」

「こいつが、手首を強く……」

「不可抗力です」

 この場合は「正当な反撃」というべきか。一方的に暴力を振るってきたのは相手側で、そもそも暴力を振るう理由が存在しない。彼等は、女神イリージアに仕える神官なのだから。

 彼の言葉「不可抗力」が気に入らなかったのか、再び違う神官が攻撃を仕掛けようとするが、ダレスの鋭く冷たい眼光に圧倒され振り上げていた手を下ろし、何事もなかったかのように振舞う。

 彼等は、一人では何もできない。複数いるからこそ一人一人が増徴し、好き勝手に振舞う。所詮、一箇所に群れていなければ何もできず、言い掛かりをつけたりするのも複数いるからできる。

 しかし、神官も昔から腐りきっていたわけではない。徐々に血の魔力によって歪んでいき、負の部分が強調されてしまった。その結果、彼等は神官と呼ばれていても本来の意味を果していない。

 彼等とのやり取りの中で、部屋の片隅で腕を組み欠伸を繰り返しているセインの姿を目撃した時、ダレスは神官が歪んでしまった原因が別に存在しているのではないかと考え出す。

 血族。

 繋がり。

 権力。

 浮かんでは消えていく単語の中で、セインの一族〈ファーデン家〉こそが、腐敗の理由を示していると結論を出す。ファーデン家は代々神官を輩出している名門と呼ばれる一族で、長い伝統に彩られている。

 別に代々神官を輩出する点に関して批判を唱える権利をダレスは持ち合わせていないが、其処に「努力」が伴っているかどうか追求してみたいと思う。現に見習い神官セインは、殆んどやる気がない。

 崇められるべき、優秀な一族だから。そのような胆略的な考えのもとで神官になった場合、本来あるべき神官としての心構えを持てるかどうか怪しい。そしてその堕落した考え方は周囲に伝染していき、いつの間にかそれが正しいものだと認識され誰もおかしいと思わなくなる。

 堕落は新しい堕落を生み出し、それを訂正するべき人間の輩出を拒む。勿論、最初は正しい考えのもとで修行を積んでいただろうが、その者達も周囲の影響を受け堕落していく。そして巫女の血を金を生み出す道具と考え、自分自身の私腹を肥やすことに専念する。だが、彼等も頭はいい。特に自己防衛の面での回転力は凄まじく、信者達にいい印象を植え付けていく。