同時に利用できるものは何でも利用し、利用価値がなくなったと判断すれば容赦なく切り捨てる。ナーバルにとって息子はフィーナ同様に道具そのもので、自分の都合よく働いてくれさえすればそれでいい。だからこそこれっぽっちの愛情さえ示さず、厳しく接し続けてきた。
しかし、親子関係もこれまで。利用できるからこそツケを肩代わりしたのだが、これからは自分で支払いをしないといけない。利用価値がなくなった者に投資できるほど情に厚いわけでもなく、それどころか苛立ちの対象がひとつ消え去ったとこに、ナーバルは喜びを覚える。
ああ、何と晴れ晴れしいことか。
やっと、鬱陶しい蝿の一匹が消えた。
息子を切り離した瞬間、先程までの内に抱えていた怒りが治まっていく。それほどまで息子の言動はナーバルにとって頭痛の種であり、あれこれ言っても解消できる問題ではなかった。それが知られざる体質により一変し、いい切り離しの理由をナーバルに与えてくれた。
(女神よ、感謝します)
このようなことで信仰している女神に祈りを捧げる時点で侮辱に値するが、今回の件は女神に祈らずにいられなかった。厄介ごとがひとつでも消えれば、他のことに集中することができる。また娼婦遊びが酷い息子がこれで足を引っ張らなくなるのだから、万々歳である。
そもそも、セインは最初から運を持ち合わせていなかった。優秀な神官になるようにと勉学に励ましたが、悪い方向で優秀になってしまった。お陰で父親の期待に背く行動ばかり起こし、才能を生かしフィーナの夫の座を与えようと思えば、肝心な部分に欠損が見付かった。
世の中「運も実力のうち」と言われているが、セインは運からも見放されてしまっている。いや、代々神官を輩出している名門一族に誕生した時点で、持っている運を全て使ってしまったのか。どちらにせよ、一族の名前を盾にし好き勝手にやっているセインにいい未来はない。
勿論、見放した息子に手を差し伸べることはしない。ナーバルの指摘のように一族もセインに愛想を尽かしているので、此方も救いの手を差し伸べはしない。それを知らないセインは娼婦を抱き、欲望を発散させている。今回のツケも、父親が支払ってくれると思って――
世間は世知辛く、努力しない阿呆には厳しい。
その言葉を身を持って実感するだろうが、それは娼館から帰ってきた頃の話。いつも呼びに向かわすダレスがおらず、尚且つ切り捨てどうでもいいと思っている相手。最後だけは有意義に過ごさせてやろうという微かな温情にも思えなくもないが、それさえナーバルの心には存在していなかった。


