ルナティアの話は正に、言葉では言い表せないほどの驚きの内容で、にわかには信じられないものだった。
「私はね、前の二回とも今日、毒殺されるの。国王陛下と共にね」
「・・・え?」
「二度目の時はこの運命を変えようと、かなりもがいたわ。諸国漫遊で我が国を訪れた夫に会わないように避けたり、ジョージにマルガリータ以外の女性と結婚させようとしたり・・・でもね、本筋は変える事が出来ないみたいで、あっさりといとも簡単に今日、死んだわ」
何でもない事の様に話す彼女だが、内容が内容だけに何を言っていいのかわからない。だが、今生きているという事は今世はそれを解決したのだろうか・・・
「・・・・犯人はわかっているのですか?」
「えぇ。今世は私以外に後二人、世界が重なったおかげで別視点から見る事が出来てね、阻止できたの」
「あと、二人?」
「えぇ、故郷に居る私の弟で国王でもあるルドルフと、孫のクロエよ」
その名を聞いた途端、心臓が嫌な感情と共に大きく跳ねあがり、先程見せられた彼女の胸の痣が甦る。
「まさか・・・あの、痣は・・・」
「そう、クロエが刺されて死んだ証拠。私は毒殺で二回。だから、右足の指二本の爪が毒物特有の紫色になっているの。弟のルドルフは背中を切られて死んだから、背中に大きく斜めにクロエと同じような痣があるわ。逆行した人間は、身体のどこかにその死んだ原因を印として持っているのよ」
靴を脱いでイサークの横に立ち、ドレスの裾を少し持ち上げれば、左右ピンク色の健康的な足の爪が並ぶ中、二本だけ毒々しい紫色が一際目を惹く。
「私の故郷で王家に伝わる伝承は、ほぼ真実。その中には、何度も逆行を繰り返さざるを得ない苦痛も伝わっているわ。所謂、無限ループの様に。自分の意思で止める事ができないの。だから私が初めて逆行を体験した時には、自ら命を絶ってしまおうかとも思ったくらいなのよ」
そう言ってほほ笑む王妃は、どこか哀愁が滲み出ている。
「シェルーラ国では、この世界には並行していくつもの世界が存在しているといわれているの。例えば、この祭りに参加するかしないかの選択でイサーク様は参加される事を選択した。その分岐点で欠席される選択をした貴方の世界が一つ生まれるの。そして更に、私に誘われ此処に居る貴方。その時点で、私の誘いを断る選択の貴方の世界が生まれる。所謂、私達から見たらもしも(・・・)の世界だけれど、実際に存在するのよ。何処での選択かはわからないけれど、今世は三人の世界が交わった。だから私は今を生きている」
選択の度に世界が生まれる。そしてそれは並行して存在するのだという。
「・・・その世界の中に、クロエ姫が殺される世界が・・・・?」
「そうよ。犯人も知っているわ」
「・・・・・・それは・・・」
じっと見つめるルナティアの瞳に、何やら嫌な予感しかしなくて言葉が出てこない。まさか・・・と。
彼女は先程何と言った?自分と姫の出会いは宿命だと・・・
「前のクロエは二十才で死んだわ。イサーク様、貴方に殺されたの」

目の前が真っ暗になるとは正にこの事を言うのだろう。
頭が言葉を拒絶し、全く理解できない。
「クロエが十七才の時、イサーク様に望まれ帝国へと嫁ぎます。一度も会った事が無いのに何故自分が望まれたのか、それはいまだにわからないと言っているわ」
言葉を理解する事を拒否していたのに、愛する人が妻であったと。現金な事に、その言葉に一瞬にして歓喜に満たされ、同時に嫉妬にもかられた。
「私達が死んでジョージが国王となったと同時に、ロゼリンテを跡継ぎにと宣言したの。本当は、私と国王が結婚する条件として出されていたのが、黒髪青目の子が生まれたら故郷のシェルーラ国の人間と結婚すること。でも、ジョージはそれを無視し、帝国と縁を結びたいがためにあなたと婚姻させた。まぁ、それが破滅への始まりでもあったんだけどね」

帝国はクロエが嫁ぐ前の年から天候不順の為に農作物の出来が良くなかった。
翌年は正に国民生活に影響が出るほど不作で、備蓄していたものだけでは賄えないとわかり、他国から食料を輸入する事にしたのだ。
その中でリージェ国は他国に比べその年は作物が豊作で、破格の価格で譲ってくれるという。
だが、その条件としてリージェ国のアドラ姫を皇太子に嫁がせるという条件が付けられたのだ。
帝国には側室制度もあったため、何人もの妻を持つことは許されていた。だが、よほど跡継ぎが生まれないという緊急性が無い限り、側室を持つという事が無かったのだ。
状況が状況な為、アドラ姫を迎え入れたのだが、それはこの世界を暗黒時代へと突き進める序章でしかなかった。
「リージェ国は帝国を手に入れるために手を差し伸べたのよ。側室を廃止していなかったのも大きかったわね。正妃として輿入れしたクロエを追いやり、最終的にはアドラが正妃におさまったのだから」
「まさか、その時・・・姫を?」
別の世界の自分は、愛する人を手に掛けあのケバケバしい女を愛したというのか・・・・
「多分、貴方の意思では無いと思うわ。魔薬で操られていたんでしょう。クロエが死んだ年に、皇帝夫妻も不慮の死を遂げ、貴方が皇帝に即位したの」
「・・・両親も俺が・・・?」
この世の事ではないと分かっていても、全身に鳥肌が立ち体温が無くなっていくような錯覚を覚える。
「詳しい事はわからないわ。クロエが死んでからの事は、ルドルフ情報だから・・・シェルーラ国からだと帝国を含む大陸の状況をすぐには把握できないのよ。でもね、最終的には大陸は帝国によって・・・というより、リージェ国によって魔薬による急激な支配が進み、壊滅的だったみたい。シェルーラ国の様な島国も大陸支配後侵略されて、抵抗してルドルフは死んだわ」
イサークは今の話がこの世界でも起こり得る事だったのだと感じ、ぞっとした。
そしてこれまで父のしてきた事に全て意味があったのだと理解した瞬間、何かがすとんと落ちた。
後宮を廃止した事。いつ来るかわからない災害に備えて食料備蓄基地を倍以上に増やした事。リージェ国から帝国へ入国する者への厳しい審査を設けた事。
昨年の掃討作戦がもし失敗していれば・・・そう考えただけで、身体が震えそうになる。
「そんな深刻な顔をしなくても大丈夫。今こうして私が生きているという事は、取り敢えず上手く進んでるという事だから」
「いつから・・・・ルナティア様は、何時から準備なさっていたのですか?」
前の世界の事は今の話だけでは詳しい事はわからない。だが、三人の世界が重なっただけでは、こうはいかないだろう。
「そうね・・・弟が四才で目覚めた時からかしら。私の記憶とルドルフの記憶をすり合わせ、前の生では交流が無かった帝国を取り込むことから始めたわ。この国に嫁いでクロエが目覚めた事によって帝国内部で何が起きていたのかもわかったし。第一関門としては、私が今日を生き延びる事。それを突破できれば次はクロエね」
「姫の、婚姻ですか?」
「えぇ、元々私も本当は自国以外の国に嫁ぐ事は出来なかったの。でも当時王太子だったフィリップがあまりにしつこくて・・・私の父が条件を出して折れたのよ」
「それが、クロエ姫をシェルーラ国に嫁がせると」
「そう。この能力を一人で背負うのは、精神的負担が半端じゃないのよね。だから国外に出た私にはカイラを、クロエにはカイラの娘ケイトを付けたの」
推し量る事の出来ない壮絶さに自分を当てはめてはみるが、想像できない己の想像力に落胆する。
そして、この世界では愛しい人と結ばれる事はないのかもしれない・・・そんな諦めと、クロエが殺された世界での自分への怒りがふつふつと湧いてくる。
だがルナティアが続けた言葉に事体は一変する。
「だけど今だ不安定な状況ですし、イサーク様に妃が居ないのはリージェ国に付け入る隙を作ってしまうので、今世もクロエを嫁がせることにしたわ」
「え?」
「エドリード様との賭けにも負けてしまいましたからね」
「賭け?」
「そう。この年になってご自分に婚約者候補一人いない事を、不思議に思いませんでした?」
それは思っていた。だが自らそんな事を言い出せば、これ幸いにと貴族令嬢を斡旋されそうで口を噤んでいたのだ。
だが、ルナティアとそんな約束をかなり前からしていたから、他の貴族から皇太子妃の事で急かされても、父はのらりくらりとかわしていたのか。
「本当は今も私はクロエが帝国に嫁ぐ事は反対なの。でも、エドリード様は帝国の為に私達との繋がりは断ちたくない。そこで貴方がコインの役割となったわけ」
「私、ですか?」
「そうよ。お互い気持ちの無いまま結婚させるのは可哀想だし、何よりクロエは前の私の様に最悪の運命を変えようと必死なんですもの」
「・・・・・・・」
「そこで、クロエを一目見た時点でイサーク様が『愛してる』と言えばエドリード様の勝ち。『好き』だと言えば私の勝ち、と言うわけ」
―――やばかった・・・あの時、素直に気持ちを吐露して正解だった、とイサークは心の中で冷汗を流す。
「では、父になにか言われてきたかと聞いたのは・・・」
「えぇ、変な入れ知恵なんてされたらこちらが不利でしょ?あの方は綺麗な顔してかなり狡猾で腹黒いから」
そう言って可愛らしく笑う目の前の美女も、イサークから見ればかなり狡猾で腹黒く見える。口には出せないが・・・・
「父の名誉にかけて言いますが、父は一度も私の前ではクロエ姫の事は話しておりません」
「ふふふ、分かっているわ。どちらかと言えば私の方がクロエにイサーク様との事を根掘り葉掘り聞いてたくらいだから、ある意味、そちらに有利に働いたのではとヒヤヒヤしていたのよ」
何の話なのかすごく気にはなるが、今の自分の事ではない話など聞いても腹が立つだけなのだろう。
「賭けとは言え、正々堂々と勝負をしなくてはと思ってね。今日のクロエの装いはいかがでした?今年は薔薇の出来が良かったからと誤魔化したのだけど、クロエはかなり渋っていたわね」
今日の彼女の装いは、イサークの花紋に包まれていた。
「クロエは自分が賭けの対象にされてるなんて知ったら、ものすごく怒るでしょうね。しかも、帝国にまた嫁ぐとなれば、恐らくここから居なくなってしまうわ」
その言葉が辛く、理不尽さも感じずにはいられない。此処に居る自分は彼女にまだ何もしていないのに・・・と。
「貴方を責めているわけではないのよ。だって二人は今日初めて会ったんだもの。でもね・・・クロエが体験してきた事もまた事実。これからは貴方の努力次第という所ね」
その言葉に思わず唇を噛む。本来であれば、シェルーラ国に嫁いだ方が彼女にとっては幸せなのかもしれない。
でも、今日初めて会ったばかりでも、彼女が欲しくてたまらないのもまた事実。自分以外の人間の妻になるなど、許せるはずもない。
「私は・・・必ず彼女を幸せにします」
どんな言葉も嘘っぽく陳腐な気がして、だけれどこれが今の自分の率直な心情でもある。
そして改めてこれは自分に対する誓いの言葉なのだと、胸に深く刻んだ。