飾り気がなく、その地味さが雑踏に咲く一輪の花のような、ピアノの前で優雅に奏でる名も知らない女性。

彼女は曲によって表情を変える。憂いを秘めた顔、楽し気な顔、そして……誰かに想いを馳せているかのような顔。本人は無意識なのかもしれないが、どういうわけか俺は彼女に釘付けになってしまった。

これが一目惚れってやつか? まさか……。

しかし、彼女から目を離せない理由を自問すると、俺はまともな答えを見いだせなかった。

一度でいいから話がしたい。声を聞いてみたい。

俺がこの店に通う本当の理由は、彼女に会うためだった。

テラス席から密かにそんな風に思っている男がいるなんて、彼女は想像もしていないだろう。

思い切って話しかけてみればいいじゃないか、男らしくないぞ。

そうだ、花を贈るのはどうだ? それとも手紙? いや、いくらなんでも古風すぎるか……。

そんなことをあれこれ考えつつ、時間を確認すると残念ながらタイムアップになってしまった。

まったく、忙しないな……。

テーブルで会計を済ませ席を立ったその時、イルブールのオーナーと女性スタッフが隅で話している会話がふと聞こえた。