小さい頃は何も知らずに無邪気に笑っていた。
──女の子はお父さんに似るって言うけど、あんまり似てないんだね。
──お父さんに似てたら、めちゃくちゃ美人になってそうだよね。
 そう言われた意味を、お母さんに似てて可愛いね、まだそう思えていた頃は。
 小学校高学年にもなれば、言葉の裏を読むことぐらいできる。
 お母さんに似てブス。
 お父さんじゃなくて、お母さんに似て残念だね。
 遠回しに周りがそう言いたいことも理解していく。
 確かに、あたしのお父さんは驚くほどの美形だ。
 どこか外国の血が入ってそうな外見をしているが、生まれも育ちも生粋の日本人で、マイペースでどこかぼんやりしてるお母さんに一目惚れしたっていうバリバリの恋愛結婚。
 お母さんの外見がどうと思ったことはない。美人ではないけれど、お父さんの近くにいるお母さんは、子どものあたしが見ててもふわふわしていて可愛いかった。
 だけど周りはそう思わないらしい。
 正面きっては言わないけれど、釣り合わない、とみんながそういう目で見た。親戚や、近所、あたしの友達まで。
 お母さんの家が名家なのかと囁かれたりもした。
 お母さんはお父さんからの愛情をまったく疑っていないし、毎日のようにイチャイチャしてる場面を見せつけられたあたしとしても、二人が一緒にいることに違和感を覚えたりはしない。
 ただ、何気なくお母さんに言われた一言が、ずっとあたしの頭の中にある。

「笑留がお父さんに似てたらねぇ」

 ため息をついて、あたしの顔を見てお母さんはそう言った。
 周りに何を言われても気にしない。だってお母さんは幸せそうだから。
 でも、どうしてお母さんが、そんなことを言うの?
 あたしがお父さんに似ていたら、もっと美人で可愛くて、その方がお母さんもよかったの?
 残念な子、可哀想な子にしないで。美人ではなくても、そのままのあたしを受け入れてほしかった。
 もう自信なんて持てなくなった。
 お母さんに似て、笑留は可愛いよ。大好きだよ。
 お父さんは今でもそう言ってくれる。
 けれど、ため息混じりに告げられたお母さんの言葉が、胸にしこりのように残って消えてくれない。


「周りから言われるのには慣れてたんですけど、お母さんまでそう思ってたんだって知ったら、あたしの全部……否定されてるような気がしちゃって」
「そっか、でも俺は……キミのことを全部ひっくるめて可愛いと思うよ」
 三条課長は肯定も否定もしなかった。
 ただ、何度も可愛いと言ってくれる。
 あたしだけのオアシスみたい。
 三条課長の言葉が、乾いた砂に一滴一滴と水が落ちるみたいに吸い込まれていく。
「こんなに卑屈でも、ですか?」
「言い換えれば謙虚だ」
「謙虚……」
「うん。笑留は麗に憧れてる部分あるよね。でも、そのままのキミでいいと思う。笑留といるとこっちも自然でいられるし、安心する。そういうの仕事でもお客様にちゃんと伝わってるんじゃないかな? それに、俺……麗みたいな肉食女子、ちょっと苦手だしね」
「麗は肉食女子っぽいですけど……男性が自然に寄ってくるんですよ?」
 自ら男を漁るようなマネはしない、というかそんな必要がない。
 彼女がそこにいるだけで場が華やぐ。麗を前にして好きにならない男性がいるとは思えなかった。
 それにしても、ずっと三条課長と付き合っているとばかり思っていたから考えたこともなかったが、麗の付き合っている相手はどういうタイプなんだろう。今度聞いてみたいものだ。
 三条課長が何かを思い出したように、フッと笑いをこぼしてあたしを見た。
「あいつね、今の恋人……振られては追いかけて、何度も告白してやっと付き合えたんだよ」
「そんな、まさか……」
「笑留が思ってるより、麗はモテないんだよね。俺も男だから何となくわかるけど、近づきにくいんだろうな。隙もないし。だから、好きになった男にはガンガン攻めてたよ。もうストーカーレベル。これ俺が言ったって内緒ね。多分プライドが許さないから」
「だから、肉食女子……」
「そうそう。もう諦めればって何度も言ったけど、粘り勝ちするんだもんなぁ」
 よほどおもしろかったのか、三条課長は声を立てて笑った。
 幼馴染みである二人が気の置けない間柄であることがわかる。三条課長にこんな顔をさせられる麗に、やはり羨望の思いを抱いてしまう。
「三条課長は、ガツガツこられるのは苦手ですか?」
「ん〜好きな子からこられるのは嬉しいよ? ガツガツきてくれる?」
「あっ、あたし……ですかっ?」
 どうやって距離を縮めたらいいのかもわからないのに、絶対に無理だ。
「こられないよね、わかってるよ。だから、笑留相手には俺が肉食になることにしたの」
 あたしの表情から察してくれたのか、苦笑を浮かべる三条課長に告げられた。
「好きだって、可愛いって毎日言うよ」
「恋人の……婚約者のフリ、なんですよね? 麗と結婚させられそうだから、今だけなんですよね?」
 勘違いしてしまいそうになる。
 もしかして、三条課長に好かれてるんじゃないかって。
 このまま、本当の恋人になれるんじゃないかって。
「笑留に嘘はついてないよ。恋人のフリ頼むだけなら、わざわざこうしてデートなんかしなくていいでしょ? 親にちょっと会ってもらって、しばらくしたら別れたって言えばいいんだから」
「あたしのこと……」
 好きになってくれたんですか──?
 聞きたい言葉はどうしても、声にならない。潤んだ目から涙がこぼれ落ちる。
 言葉を呑んだ、三条課長には伝わったようだ。
「うん、好きだよ」
 嬉しくて胸がキュって締めつけられる。
 薄暗い店内は、席と席の間も離れていて、誰もカウンターに座るあたしたちを見てはいない。
 都合よくバーテンダーは裏に行ってしまった。
 三条課長の顔がそっと近づいてきて、俯きがちの顎を持ち上げられた。
 泣き顔はひどいだろう。目も真っ赤になっているだろうし、可愛くなんてないのに、潤んだ目もとに三条課長の唇が何度も降りてきて、優しい口づけに涙が止まらなくなった。