『当主…?
ユメちゃんが…?あの橘道場の…?』


橘道場――。
京最強とまで云われた橘剣法を伝承するその名は、京都の者ではなくとも一度くらいは聞いたことがある程に有名だ。


門下生は百を超え、先代の時代には将軍家御用達の名門中の名門道場だった。


しかし、その先代が病で世を去った後はその高名にも陰りが見え始めたという噺も矢加部の耳に入ってきていた。


『ぷははっ!何やねんその顔は。
そうや、ワテは橘道場の橘時夢〈タチバナトキユメ〉や。やから、ユメ…ってわけや』


ユメは矢加部を指差しながらケラケラ笑っている。


『いやはや、驚いたねぇ…。しかしあれかい?橘の後継ぎになると、女まで真剣を軽々しく振れるような腕力がつくのかい?』


生粋の商人である矢加部は刀を握ったこそはないが、女子供の細腕で振れるような代物でないことくらい知っている。


『あー、これな…』


ユメはそう言うと、持っていた紅色の柄をした刀を矢加部へと差し出した。


『おや?こいつは一体…』


矢加部は渡された刀を握ると驚きの声を上げた。

見た目は普通の刀なのに、その重さときたらまるで小枝のように軽いのだ。


『その刀、隠ノ桜一文字〈カクレノザクライチモンジ〉はな、薄い鋼を2枚重ねただけで、中は空洞になってんねん』


『ほぉ〜なるほどねぇ…、中身がスカスカってわけかい。
しかし…これで斬り合いなんぞしたら、すぐに刃がひん曲がってしまうだろうね』


矢加部は感嘆したような表情で、薄紅桜一文字を夕陽に翳した。


(なるほどねぇ…。
この女の肝っ玉がやけに大きいのは、この玩具と橘道場の看板があるからか…)


刀を鞘に納めるユメを見ながら、昼間の居酒屋でのイザコザを思い出す。


(確かに、野武士たちがあの場でこの女に何か危害を加えていたら、たちまち橘道場の剣豪たちがやって来て皆無事では済まなかっただろね…)