首を縦に振ったことが間違いだった。
俺はあの時首を左右に振り、瑳峨野の告白を否定する事も出来た。
何故なら、俺は確かに瑳峨野の事が比較的「スキ」な方だったのかもしれない。
しかし、告白を受け入れるには至らない程の「スキ」

俺はあの時、あの瑳峨野の真剣な雰囲気と流れる重たい空気に飲まれて反射的に首を縦に振ったのだ。

よくよく考えればそれは酷い行為だと思う。
だが、今の瑳峨野の行いを考えればマシな筈だ。

「あっ……くぅ、んッ!」

室内から零れる甘い声。
卑猥な水音。
野生的な荒い吐息。

「まだ、いけるでしょ?」

挑発的な瑳峨野の声。

彼は今、人を抱いている。
其れも、俺とは異なる人間。

詰まり、早い話。
瑳峨野は「浮気」している。
其れも、一度や二度では済まされない。
数え始めればキリがない回数の浮気を重ねて、重ねて、重ねた上で、瑳峨野は俺を「恋人」と呼ぶ。
「好きだよ」
俺を腕の中に抱きながら、瑳峨野は耳元で「愛の言葉」を囁く。
しかし、俺は其れに答えない。
初めの頃は俺も何か答えていたのかもしれないし、赤面して瑳峨野の胸に顔を押し付けていたのかもしれない。
ところが最近は何も反応しないように俺は静かに目を瞑る。

そうでもしなければ、可笑しくなりそうだった。

――その言葉を一体何人に告げてきた?
――その腕は一体何人を抱いてきた?
――その唇は一体何人を受け入れた?

熱くて、黒くて、汚くて。
消えないモヤモヤとした嫌な感情に押し潰されて、嘔吐して、涙を流して、嫌で嫌で嫌で嫌で嫌で嫌で嫌で。
この世の全てを否定したくなった。

そんな自分自身が一番嫌で。

幾度となく自分の首に手をかけた。
(それでも勇気を振り絞ることが出来なくて。)

しかし、そろそろ限界だ。

俺は瑳峨野の浮気を知っていた。
それでも別れなかった。

理由は簡単だ。
瑳峨野の浮気を知った頃にはもう遅かった。

俺は瑳峨野を愛してしまっていた。

深く、深く、深く。
俺は瑳峨野を愛していた。
そして今も未だ尚愛している。

だから、俺は瑳峨野の浮気を心の何処かで「否定」していた。

瑳峨野は浮気をしていない。

決め付けて、思い込んで。
俺は瑳峨野の隣で「恋人」を続けた。

でも其れももう出来ない。
俺は〝見てしまった〟
実際に、瑳峨野が、浮気を働いている場面を目撃してしまった。

今迄実際に瑳峨野が浮気をしている場面を一度足りとも自分の目で見たことがなかった。
だから思い込めた。
でも今度は違う。
今度は確かに自分のこの目で〝見てしまった〟

誤魔化せない
思い込めない
目を逸らすことはもう出来ない

俺は瑳峨野の浮気を受け入れなければいけない
俺は現実を受け入れなければいけない

其れが、とても、辛い。

瑳峨野の首筋に付けられた赤い痕。
瑳峨野から漂う瑳峨野とは違う甘い香。
開かれた携帯に映し出された「またしようね」の六文字。
放課後の教室で親しげに話す瑳峨野と可愛い女の子。

どれも、辛かった。
でも、今が一番辛い。
今までは目を逸らすことが出来たから乗り越えられたのだと痛感する。

「もう辛ぇよ、瑳峨野。」

俺は瑳峨野と別れなければならない。
そうでもしなければ俺は真っ黒な感情に押しつぶされて、首に手をかけてしまいそうだったから。
其れも、俺の首にじゃない。
瑳峨野の首に。

それだけは、絶対に駄目だと叫ぶ自分が居て。
苦しいなら瑳峨野(元凶)の首に手をかけてしまえばいいと囁く自分が居て。

おかしくなって。
おかしくなって。
可笑しくなって。

オカシクなって。

「愛したら負け。」
俺は負けたのだとその場に膝を付いた。