放課後というのは三年生にとっては憩いであり、二学期になり部活は引退を余儀なくされ、高校受験までの数ヶ月間を独自の方法で過ごす。勉強するものもいれば、テレビゲームに精を出すもの、異性との距離をぐっと近づけるもの、人それぞれだ。高円寺の放課後の楽しみは噴水がある場所に行きマイナスイオンを体感することだ。何事も浴びなければ、体内に取り込むことはできない。それが彼の哲学であり理念である。
 いつもの癖で高円寺は下を向きながら歩いた。考え事をするにベストな首の角度であり、ぶつぶついっても他の生徒から文句を言われることはない。彼が寝つけなかったのは、阿佐ヶ谷なぎさ、のことだ。なぜ頭があそこまで軽かったのだろう。意識は失っているようだが、彼女の家に送り届けるまでのポイントとなる十字路でどちらに行こうか迷っていたとき、「右」と的確に高円寺を誘導したりした。その度に、不思議な気持ちになった。阿佐ヶ谷の家の前に着いた途端、何事もなかったかのように彼女は、意識を取り戻し、礼もなく玄関扉を開けた。その点を鑑みても、いや、もしかしたら、高円寺の頭がおかしいのかもしれない。
「痛ッ!」
 肩がぶつかった。高円寺は睨みをきかし何か言葉を投げかけようとした。だが、相手の顔を見て唾を飲み込む。阿佐ヶ谷なぎさが透き通るような目で高円寺の顔を凝視していたからだ。長い黒髪が似合う卵型の顔。ぷっくりとした唇は人を吸い寄せるような魔力する感じさせた。先走った高校生のような印象を高円寺は抱く。
「痛いじゃない。高円寺君」と阿佐ヶ谷は表情を崩すことなく自分の肩を押さえ、「方向からして噴水広場の方に行くみたいね。私もご一緒していいかしら。あら、何?肩がぶつかったのに、お詫びの挨拶もないの。行くわよ」と、くるりとターンし噴水広場の方へ歩き出した。その際に若干、短めのスカートが舞った。高円寺は唾を再度、飲み込んだ。

 夕焼けが空を満たし規則正しい噴水の噴射の音色が空間に彩りを与えていた。噴水脇に備え付けられている青いベンチに阿佐ヶ谷は座っていた。独自の雰囲気を醸し出し、噴水がオブジェで彼女の方が噴水なのではないかというぐらい神聖なものを高円寺は感じ、見惚れた。
 阿佐ヶ谷が高円寺に気づき、「ねえ、高円寺君。早く私の横に座りなさいよ。そうすることであなたの自尊心が高められるのならば、尚更、私の隣に座るべきよ」と表情を変えず言う。
 一体全体、この女は何様なのだ。昨日は意識を失い、がらっと変えた性格転換は異常性すら感じる。高円寺は仕方なく、阿佐ヶ谷の隣に座る。空を眺め、周囲を確認し、膝元に視線を向けた。高円寺の弱点が露呈されている。そう、積極性のなさを。何か喋らなきゃと思っても、声が出ない。すると、見透かしたように阿佐ヶ谷が口を開いた。
「ねえ、高円寺君。昨日は助かったわ。素直に礼を言わせてもらうわ。私って時折、意識が飛ぶことがあるのよ。こう見えて私って、跳び箱は十段まで飛べるの。もう一段上積みしてもいいのだけれど、それじゃか弱き乙女を演出できないから十段なの。あら、男なら強気に喋りなさいよ、高円寺君。私の可憐さに見惚れて声が出ないんじゃ、私と、あれや、それ、ができないわよ」
 阿佐ヶ谷という女はよく喋る、と高円寺は思った。それに、あれや、それ、の続きが非常に気になる。男の妄想と想像は無限大なのだから。が、一番気になるのはそんなことではない。