「知らない…昔の歌?」
玲は訊いた。

「そう。歌詞の石碑があるんだって。
どんなメロディかは知らない。
俺、最初、"伊勢佐木町ブルース"と間違えてた。こんなところですごいなって思ってよく見たら、違った」


「伊勢佐木町ブルースって…」


玲は吹き出し、身をよじって大笑いした。

やたら妖艶なその曲を知っていた。

祖父が健在だった頃、農作業の軽トラックの中でよく聴いていた歌だ。


玲は何時の間にか、外の景色を全く見なくなっていた。
車が今どこを走っているのかも、目的地にいつ着くのかも関心がなくなっていた。

加集はだいぶ前にカーラジオのスイッチを切った。
玲は加集の横顔ばかり見ていた。


二人は喋っては笑ってばかりいた。



コンビニに寄ったりしていて、城ヶ崎海岸に着いたのは、午前10時頃だった。
駐車場には、車が何台か停まっているだけで、人影はない。


駐車場に車を停め、加集と玲は歩き出した。

「寒〜い!」

玲は開けていたダッフルコートの前を両手で掻き寄せる。

陽射しはあるのだが、風が冷たい。

けれども、朝よりはずいぶん暖かい。
春の気配がした。


「玲ちゃん、あったよ」

加集が歩きながら、行く手を指差す。
そこには『城ヶ崎ブルース』の石碑があり、それを見ながら、二人でクスクスと笑った。


「この先が吊り橋だよ」
加集が言った。


「待って。加集さん!」

玲は歩く加集を呼び止めた。

新しいローファー靴が合わなかった。右のかかとが擦れて痛い。

「バンドエイドをかかとに貼るから、ちょっと待って」
バッグを加集に預け、中腰に屈んだ。


その時だった。

加集が「うわっ…」と声にならない声を上げ、素早く体ごと向きを変えた。


「…?」

屈んだまま、どうしたの?と言いかけて、玲は気付く。

屈んだ拍子に襟ぐりの深いセーターの胸元から、ピンク色の下着のレースと玲の豊満な乳房がもろに見えていた。

「きゃっ!」

自分で見せたくせに小さな悲鳴を上げ、ダッフルコートの前を慌てて留める。

(なんてことしちゃったんだろう…)

顔から火が出る思いだった。


「もう、貼った?」

加集が向こうを見ながら言った。