4月の初め、その日はひどく晴れて澄み渡った青空の下、秒速5センチメートルで舞い降りる桃色の花弁の多さに圧倒されていたことだけを覚えている。
 
 私はいつものとおり大学に通う道のり、踏み切りで湘南鉄道の電車を待っていた。私は学校に通うためにいつも、湘南鉄道の新宿行きに乗りこむこと数十分、巨大で茫漠な人ごみの山を淡々と捌くターミナル駅に着くと、山手線に乗り換えて大学のある高田馬場に向かう。

 この踏み切りは私が自宅から湘南鉄道の最寄駅に向かうために通る必要のあるものであり、言わば、学校に通うまでの1時間の聖なる静かな闘いに向けて気持ちを鎮めるための最初の洗礼のようなものだ。

 100tを超える大量の人間を満載した長い長い編成の車内は、息の詰まるほど苦しい圧迫感をもって、人間が機械か塵のような無機的な装いをもって、乗車する人の人生観を色褪せさせるほどの-つまり人間の存在の無力さと、生きることの意味を考える気力を喪失させるだけの-拙く儚く膨大な威力を持っているのだが。