祐司郎からプライベートな頼み事と言われて戸惑っていたら、「神南さん!」と、わりとキツめの口調で後方から声をかけられた。振り返ったら、そこに立っていたのは松島という女性スタッフだ。

「お土産置いてるの? 欲しい欲しい」
「どうぞ。はい」

 小袋を一つ取り、松島に手渡す。

「ありがとう。あ、最中だ。私、好きなの。今回はどこに行ってきたの?」
「金沢よ」
「金沢かぁ。いいなぁ~。神南さんってホント旅行好きよね。この前もどっか行ってなかった?」
「先々週ね。長野だった」

 松島は顔を祐司郎に向けた。

「黒崎さんはあんまりお菓子ボックス利用してないから知らないと思うけど、神南さんのお土産を狙ってる人が多いんですよ。理由は、数が少ないから希少価値高いってことで、ゲットできたら良いことある、とか話しててね」

「よく行くからお土産の単価落とさないとキツいだけ」
「へぇ。そんなに頻繁に行くって、カレシも旅行好きとか?」

 祐司郎の質問に沙也の顔に苦笑が浮かんだ。

「カレシいる前提で話さないでくださいよ。一人旅だから」
「あれ、そうなの? てっきりカレシいるんだと思ってた。ごめん」
「いえいえ、謝ることないです。でも、いてもいなくても、旅行は一人がいいですし、私の旅行の目的は観光じゃないから、一緒だと退屈させるんで。では、私、やることあるんで」

 沙也はそう言って軽く礼をしてその場を離れた。

(松島さんの視線が痛かったわぁ~)

 お土産にまったく興味がなかったわけでもないだろうが、やってきた理由は黒崎がいたからだろう。お菓子欲しさに、というのはかっこうの言い訳で、黒崎との距離と縮めるのが目的だと察する。その根拠は目だ。松島の刺すような目が、早く行けと力強く語っていた。

(だけど、黒崎さんのペットの世話って……そんなことしてるのバレたら、黒崎ファンたちから総スカン食らうわよ。それ怖い。あ、そういえば……ペットって、なんだろう。犬? それとも猫?)

 パソコンに向かいながらも、心の目は松島の顔を浮かべて捉えている。
 沙也は、はあ、と吐息をついた。

(黒崎さんがみんなの憧れであり、モテ男子だってことはわかってるわよ。私みたいな地味で冴えない女がまともに話してるんじゃないって言いたいこともわかる。けど、取りに頑張ってるわけじゃないし、そんなこと見ればわかることだし、なにを怒ってるんだか。甚だ迷惑なんだけどねえ。だけど……)

 今度は黒崎の整った甘いマスクが浮かぶ。

(黒崎さんも、なんで私なんだろ。そりゃあ、他の人よりかは安全だろうけど、プライベートのお願いなんて、友達でもなんでもない人に頼んだら、誰だって誤解したり期待したりするでしょうが)

 と、ここまで考えて、はたと我に返った。そして妙に納得する。

(さすがモテ男子は女性を見る目があるわね。よくわかっていらっしゃる。私は誤解も期待もしないから。だけど、バレたらホントにヤバいよね)

 パソコンの右下に社内メールの着信を知らせるアイコンが点滅を始めた。クリックしたら祐司郎の名前が表示される。

『打ち合わせ、六時でよろしく』

 場所が書かれていない。一瞬、どこで? と返信しようとして手を止めた。プライベートなことで社内メールを使うのはよくない。情報システム部が抜き打ちでチェックしているという噂があるからだ。黒崎もそれを警戒しているのだろう。

(六時前になったらいつでも出られるようにしておけばいいか)

 あと、一時間くらいで六時だ。今日は特に残業するような急ぎの仕事もないし、沙也はのんびり片づけをしながら時間の調整をすることにした。

「神南さん」

 ふいに声がかかり、顔を上げると、背後で梅鉢最中の入った小袋を振っている男性スタッフがいた。

「池田さん」
「もらったよ、ありがとう」
「いえいえ、どういたしまして」
「金沢、いいなぁ。俺も行きてぇ」

 池田はそう言いつつ、自席に歩いていった。

 そうこうしているうちに六時が近づいてきた。さり気なく周囲を見渡していると、黒崎が立ちあがり、周囲に挨拶しているが見える。沙也は自分も、と思って鞄を手に立ち上がった。

「お先に失礼します」
「お疲れ様です」
「お疲れ~」 

 ぺこぺこと頭を下げつつフロアを出る。エレベーターホールに行くと黒崎がいた。

「私も乗ります」

 わざとらしいかな、と思いつつ、偶然を装ってエレベーターに乗り込んだ。幸い、エレベーターには誰も乗っていず、二人きりになった。

「悪いね」
「いえいえ」

 なんとなく、気まずい。
 気まずいと思っているのは自分だけかもしれないが、どうも黒崎のような女にモテるイケメンの傍にいるのは落ち着かないのだ。

 異性として意識している、ということはない。なぜなら――

(自分がモテないことは自覚してるけど、そういう理由からじゃなく、今の私にオトコは不要なのよね。趣味に生きてるから)

 エレベーターが一階に到着し、黒崎が歩き始める。足元に迷いがないので、どこに行くかはもう決まっているのだろう。沙也は黙ってついていくことにした。

 数分歩いて立ち止まったのは、五階建てのそれほどきれいではないビルだ。

(ここ?)

 黒崎はなにも言わずそのビルに入り、脇の階段を下りていく。店はどうやら地下らしい。そして下りてすぐのところに暖簾のかかった引戸の扉があった。

 黒崎が迷わずその扉をスライドさせると、いらっしゃいませ、という店員の元気な声が響く。中は落ち着いた感じの割烹だった。

「黒崎さん」
「ん?」
「なんかよさげな店ですけど、高くないんです?」
「え? 和食ダメだった?」
「そうじゃなくて、お恥ずかしい話ですが、お給料前だし、私、ちょっと趣味にお金かけてて、高い店はちょっと辛いんです」

 沙也の言葉に祐司郎が目を丸くした。

「なに言ってんの。ここは俺のおごりだよ。無理な頼みを聞いてもらうのに、割り勘なわけないだろ」
「…………」

 黒崎は傍に来た店員に名を名乗った。

「黒崎様ですね、お待ちしておりました。どうぞ、こちらに」

 和服姿の店員が笑顔でカウンターテーブルの一番端に案内してくれる。並んで座ると、お手拭きと水が置かれた。

「お任せでいこうと思うんだけど、アレルギーとか好き嫌いは?」
「ありません」
「そう。じゃあ、大将、お任せで」
「ありがとうございます。飲み物はどうされますか?」
「俺はノンアルビールで」
「私はウーロン茶をお願いします」
「ノンアルとウーロン茶ね」

 注文を終え、沙也は黒崎に顔を向けた。

「ノンアルなんですか?」
「家に帰ったら仕事したいんだ。プロジェクトで時間足りないところに今回の出張だから」
「なるほど」

 話しながら手を拭いている間に先付が置かれた。店員が胡桃豆腐だと言って立ち去るが、大した差もなく戻ってきて、ノンアルコールビールの瓶とグラス、そしてウーロン茶を置いていった。

「じゃあ、乾杯」
「乾杯」

 よく冷えていて、おいしい。

「さっそくだけど、まずはライン交換してほしい。連絡を取り合いたいから」
「わかりました」

 互いにスマートフォンを取り出して、QRコードを読み取り登録する。試しにスタンプを送ると、うまくいった。

「それで、ペットの世話のことなんだけど、神南さん、どこに住んでるの?」
「門前仲町です」
「あ、だったらウチからも近いね。俺は豊洲だから。明日、合い鍵渡すよ」
「合い鍵? 通うのは負担なんで、ウチで預かろうと思いますが」

 すると祐司郎はかぶりを振った。

「それはちょっとどうかな。ウチに泊まってくれたほうがいいと思うんだけど」

 泊ると言われて今度は沙也が目を丸くする。

「いえいえ、それは遠慮します。預かりたいです」
「うーん、ケージがけっこう大きいから場所とるんだよ。神南さん、家広い?」
「ぜんぜん。ワンルームマンションです。でも、そんなにケージ、大きいんですか?」
「まぁ、ちょっと。ワンルームなら、やっぱウチで寝泊まりしてもらったほうがいいよ」
「ケージの中でしか飼えないんです?」
「いや、そんなこともない。俺も自分が家にいる時は出してる。日中ケージに入れてるから可哀相なんで。おとなしいし、草食だし、飼うにはぜんぜん負担がないんだけど、運ぶのが……ちょっと。ケージもだけど、フランソワーズ自体が大きいし」
「フランソワーズ?」
「ペットの名前。妹がつけたんだ。すごい名前だろ? けど、慣れたら、まぁ、かわいいあなぁって思う」

 黒崎は胡桃豆腐を食べながら話している。

「そうですか。でも、ウチと会社と黒崎さんの家の三か所に通うのは、一週間とはいえちょっと避けたいです。預かって、ウチで面倒見たいです」
「…………」

 なぜ、そこで黙り込む? 思うが、聞かずに様子を見ていると、黒崎は考えた末に結論に至ったようだ。顔をこちらに向けてきた。

「とりあえず、ウチはここから近いから、食べ終わったら寄ってくれる? フランソワーズを見てから通うか、連れて帰るか決めてくれたらいい。帰りは送っていくから、神南さんの家で見るなら、一緒に運ぶよ」

 なんだか妙な感じがして、沙也は首を傾げた。

(そんなに考え込むことなのかな。草食動物で、留守の時はケージに入れてるって……一風変わったペットってこと? ワラビーとかカピバラさんとか、その辺?)

 ペットがなにか気になるが、見ればわかると思い、沙也はその後の黒崎のトークを黙って聞いていた。