あの日はあれから藤山先生と約束をした。気まずいまま会っていない彼ときちんと向き合ってくる。たったそれだけの約束を思い出すだけで鼓動は早くなったし、緊張で手足が震えた。それでも私は彼女からもらった勇気でなんとか彼と連絡を取り、約束の日を決めた。そして今日がその約束を果たす日だ。

 大学で面接練習があるという彼を待つために私も大学へと足を運んだ。キャンパスの中心にある大きな広場で彼を待っていると、五分ほどで背後から彼の声がした。

「浅倉さん!」

 私を呼ぶその声はなんとも懐かしく感じられる。こうやってきちんと会って話すのは実に一ヶ月ぶりで、私は久しぶりの彼に少々戸惑っていた。
 好きだと自覚してから会うのは、やはり今までとは違う。見た目も言動も、全てが私をいちいち刺激してくる。それに加えて今日の私は爆弾を抱えている。三月十四日の今日、私は約束通りチョコレートを作ってきた。これをいつ彼に渡そうかと朝からそわそわが止まらなかった。そもそも彼はこの約束を覚えているのかどうかも分からない。それでも律儀に用意したのは、やっぱり彼が好きだからだと思う。

「久しぶり。あ、面接練習お疲れ様でした」

「うん、ありがとう。なんか、本当久しぶりだよね。あ、けど約束……いや、やっぱり何でもない!それよりどこ行く?俺めちゃくちゃお腹空いてるんだよね」

 何かを言いかけた彼に違和感を感じたけど、そんなことよりも今はチョコを渡すタイミングのことで頭がいっぱいだ。全てを彼に委ねると「ご飯食べに行こう!」と陽気な声で言うので、私たちはそのまま大学を後にした。

 天候に恵まれた今日はカフェでテイクアウトしたサンドイッチを大学の近くにある大きな公園で食べることにした。多くの人で賑わうその公園のベンチに二人並んで座る。これだと彼の顔があまり見えないので、今日はこれくらいがちょうどいいと思った。それくらい私の心臓のドキドキは止まらなかった。

 もうすぐ全部食べ終わるという時に、彼は陽気な姿勢を崩して少し言いにくそうな表情で話し出した。

「浅倉さんに嫌われたんじゃないかって思ってた」

「ええっ?!」

 突然の告白に焦って出た声は裏返ってしまった。だけど彼はそんなこと気にしていない様子で表情ひとつ変えていなかった。彼の発言に心当たりがない訳ではない。だけど本当のことなんて言えるはずもなかった。

「ずっと俺のこと避けてたでしょ。話そうにも話せないからバイト先にも行ったけど、そのときもなんかそっけなかった」

 彼は何も間違った解釈をしていないし、何も否定できない。だけどやっぱり本当のことは言えない。なんとか誤魔化そうとする私に彼が慌てて言葉を被せてくる。

「もしかしてだけど、俺あの日酔った勢いで浅倉さんに何かしちゃった?!それしか考えられないんだ!それなら言って?!俺、何回でも謝るからさ!謝って済む問題じゃないかもしれないけど、それでも謝らせて!そうだ、ここで土下座しろって言うなら、全然するよ!」

 彼は手に持っていたサンドイッチを一旦袋に戻し、いつでも土下座しますと言わんばかりの態勢をとった。その状況に焦りながらも、必死な彼が面白くて私は思い切り吹き出してしまった。そして心の中で謝った。避けたりして、そっけなくして、ごめんねと。

「ちょっと、なんで笑うんだよ。俺真剣なんだけど」

 いつもより劣勢な彼の姿まで愛おしい。自分のそんな真っすぐな気持ちに気づくと、先日見た飛行機雲が頭に浮かんできた。

「何もされてないから大丈夫。だから落ち着いて?」

 私がそう言うと、彼の表情は一瞬緩んだ後再び不安そうな表情になった。

「でも避けてたよね?」

「それは——」

 言い逃れできそうにない状況に戸惑う。本当のことを言うには残酷すぎる。それでも、不安そうな彼の顔を見るとこのまま流すこともできなかった。だから一つだけ小さな嘘をつくことにした。半分は嘘、だけど半分は本当の、彼のためにつく小さな嘘だ。

「それはね、君があの日私にチョコがほしいって駄々こねたから。覚えてないと思うけど、すごい言われたんだからね!だからその、どんな顔して会えばいいか分からなくて……ごめん。——それでね、これ」

 私がチョコの入った紙袋を差し出すと、彼はそれを両手で丁寧に受け取った。小さな声で「やった」と呟くと、今度は私の目を見ながら「手作り?」と聞いてきた。そして首を縦に動かす私を見ると、誰が見ても分かるくらい嬉しそうにくしゃっと笑った。

「俺、手作りがいいって言ったよね。——約束、覚えててくれてありがとう。めっちゃくちゃ嬉しい!」

 そう言って照れ臭そうに下を向く彼もまた愛おしかった。