久しぶりに実家の母から電話があった。週末にみかんを送ってくれるということだったが、きっと就活が始まって娘からの連絡が減って心配しているのだと思う。
 私は両親どちらとも仲が良く、母にいたっては上京してからずっと週に一回はなんてことはない内容の電話をしていた。よく『便りがないのは良い便り』と言うけれど、うちではそれは通用しない。週に一回きていた電話が二週間に一回になり、一ヶ月に一回になり、やがてそれもなくなったのだ。母からすれば何かあったのではと気がかりだろう。ましてや我が子が就活という人生の大きな岐路に立っているというのだから心配して当然だ。

「お隣の千尋(ちひろ)ちゃんは春からこっち戻ってくるみたいよ」

 あのアパートを出て家を建てた私たちは近所の人たちにも恵まれた。隣に住んでいた千尋ちゃんは私より一つ年上で、とても面倒見の良いお姉さんだった。私自身高校生だったので面倒を見られるようなことはもちろんなかったけれど、地域の子どもたちにとっては本当に素敵なお姉さんだったと思う。私の目にも彼女の姿はそんな風に映っていた。
 そういえば彼女は高校卒業後に九州の大学に行ったと聞いていた。なるほど、就職で地元に戻ってくるということだ。これが俗に言うUターン就職というものか。彼女のような人格であれば、別にUターンに拘らずとももらってくれる企業はたくさんあっただろうに、それでも地元を選んだのにはきっと理由があるのだろう。私には、そんな理由なんてないけれど。

「そうなんだ。——私はこっちで探すつもり」

 こんなにもあっさりと伝えてしまっていいものか分からなかったけど、あまりくよくよしていても母に心配をかけるだけだと思い、私ははっきりと言った。
 母が電話越しにこぼした小さなため息を聞いて、さすがに少し申し訳なくなる。せめて「ごめんね」と言いたいのに、その言葉は簡単には喉を通ってくれなかった。黙り込む私に、母は優しく私の全てを包み込むように話し出した。

「うん。ありきたりな言葉だけど、頑張ってね。お母さんもお父さんもこっちで応援してるから。琴音、これだけは覚えておいて。この先どこでどんな風に生きていくとしても、琴音には帰ってこれる場所がある。しんどくなったら、いつでも帰ってきたらいい。就職してからも、もちろんする前でも」

 私が置き去りにしている思い出の町は、私の両親と共にいつでも私の帰りを待ってくれている。その言葉は嬉しくもあり、悲しくも、切なくもあった。色んな感情がぶつかり合って溢れそうな涙を堪え、「うん」と一言だけ返事をした。本当は「ありがとう」と伝えたかったけど、会わないうちに素直になることが恥ずかしくなってしまっていて、どうしても口に出せなかった。