――眠れなかった。

 あまりの衝撃で、まったく眠れなかった。
 だって、あの『兵頭乃蒼』だよ? 宣戦布告ってヤツだよ?

 遼ちゃんの鈍感さには、敬意を表する。あの涙が、『申し訳ない』だけじゃなかったってことに、気づいていなかったってこと。
 正直、このまま、職場に行って仕事がまともにできるか、かなり不安だった。


 そうは言っても、自分の席に座れば、身体が無意識にも動き出すのは社会人。目の下のクマは隠せてないけど、目だけは真剣。

「神崎さん、大丈夫?」

 向かい側の席から心配そうに見る本城さん。

「あ、はい。すみません」
「彼氏よりも、あなたのほうが入院しなきゃいけないんじゃないの?」

 ……そんなにひどいですか?
 本城さんには、遼ちゃんが2、3日で退院できそうな話はした(遼ちゃんについては、話してない)。よかったじゃない、とは言ってもらえたけれど、私が、こんなんじゃ、余計に心配されてしまうのも、仕方がないのか。
 実際、大きなミスなく仕事は進めているけど、まるでつり橋を渡っているような不安定な気持ち。自分でも、いつ、やらかしてもおかしくない気がしてる。

「神崎さん、今日のお昼は『室町』に行こうか。」

 本城さんが、パソコンの画面を見ながら言った。『室町』は、会社の近所にある料亭だ。今まで、二回ほど、ランチの時間だけれど、お疲れ様会的に連れて行ってもらったことがある。そう、若干高めなのだ。私の場合、ランチであっても、ちょっと気合を入れないと入れない、そんな感じ。

「私が奢るから」

 ニヤリと笑って見せる本城さんに、男気を見る。
 ううう、申し訳ないです、本城さん。
 こんな私を励まそうとしてくれるのが、痛いほどわかる。


 料亭につくと、すぐに広めの和室に案内される。そこに、本城さんと二人きり。
 目の前の小鉢たちが、季節感あふれた色とりどりの食材に目があちこちしてしまう。

「少し早い誕生日のプレゼントも兼ねてね」
「あ、ありがとうございます。」

 まさかの誕生日プレゼントに、感動。私は顔を赤くしながら、箸を進める。

「で、どうしたの?」
「あ、あはははは」

 やっぱり、聞きますよね。つい、顔がひきつってしまう。
 なんというか、正直、うまく話せる自信がない。

「……まぁ、無理ならいいけど」

 少し寂しそうな本城さんに、申し訳なく思う私。

「ため込みすぎないでね。」
「……はい」

 本当は、言ってしまいたい。
 でも、一言でも言ったら自分の感情に歯止めが利かなくなりそうで怖い。
 それからは他愛のない話や、仕事の話をしながら、食事を終えた。
 せっかくの美味しいランチのはずなのに、まったく味わえた気がしない。まるで砂を噛んでいるようだった。