あと少しで帝国の門へ着く距離まで来た時、偵察に出ていた兵士が慌てたように走ってきた。
「陛下!大変です!帝国の門が!!」
束の間の休息をとっていたガルドは、すぐさま門に向かって走った。
そして其処で見たものに、愕然とする。

森から門まで約一㎞弱、木々が全て倒され視界が開けていたのだから。
開けた視界には、高さがバラバラに切り残された木の幹が行く手を阻む様に点在し、その身を隠してくれる事は無い。
そして、門を囲む塀の上のは松明が掲げられ、人影が現れた。

「これはこれは、リージェ国ガルド殿下。ご無沙汰しております」

かなりの距離ではあるが、全ての人々が寝静まり静寂が世界を包み込むこの時間帯。さほど大きな声でなくてもガルドには十分届いた。
木の根を除ける様に、ゆっくりと門へと進んでいくガルド。
「イサーク皇帝陛下、わざわざ出迎えてくださるとは、光栄にございます。それと、一つ訂正させていただきたい」
少しだけ広い空間に立ち、優雅にお辞儀をした。
「この度、私、ガルド・スタン・リージェは王位を譲渡され、新たな国王となりました」
「ほう・・・だが、我が帝国にはその様な知らせは受けてはいないようだが」
「とても急な事だった故、まだ何処にも知らせは出していないのです」
「成程・・・めでたい、と言ってもいいのかな?」
「えぇ、有難うございます」
一見、穏やかそうな会話ではあるが、周りの人間達はピリピリとした緊張感に包まれていた。
「して、このような時間帯に、我が帝国に何用か」
「我が妻となる人を迎えに来た次第です」
「妻・・・か。私の知っている者か?」
「それは勿論。何時もイサーク殿の側に置いている方ですよ」
「私の側に?私の側に居るのは妻であるクロエしかいないがね」
「その、クロエ姫を返していただきに来たのです」
「返す?異な事を申すのだな。クロエは名実ともに我が妻であり国母である」
「いいえ、姫は元々私の妻となる予定でした。今までは帝国に預けていただけなのですよ」
「面白い事を言う。何故、そう思うのだ」
「思うのではなく、事実です。私は姫が幼い頃から求婚の申し入れをしておりましたので、彼女を娶るのは私で間違いないのです」
「成程。ガルド殿の言い分はわかった。だが、それはあくまでそちらの言い分。我が妻はそうは思っていないようだ」
そう言って、後方に手を伸ばせば、その手に掴まる様にイサークの隣にクロエが立った。
初めて見る軍服姿のクロエに、ガルドの目が歓喜に彩られる。
「お初にお目にかかります、ガルド陛下。クロエ・フェルノアと申します」
「おぉ・・・クロエ姫!お会いしたかった。さぁ、私と共に帰りましょう!」
興奮を隠せないのか、右手をクロエに伸ばしながら一歩、一歩と門へと近づいてくる。
そんなガルドを見下ろしながら「申し訳ありません」とクロエが頭を下げた。
「私はガルド様と共に行くことはありません」
「何故ですか!」
「私の今世は、イサーク様の妻になる為に生まれてきたのですから」
『今世』・・・と言うよりは、『この世界』と言った方が正しいのかもしれないが、ガルドに詳しく説明する理由はない。
そんなクロエの事情など分かるわけもないガルドは、ショックを隠し切れず大きく目を見開いた。
「何故、その様な事をおっしゃるのです!私はずっと、ずっと・・・貴女だけを想って此処まできたというのに!貴女の為にこの世界を手に入れようとしたのに!!」
「私の、ため?」
ガルドの意外な言葉に、クロエは驚き声を上げる。
「えぇ、そうです。私がこの世界の覇者となれば、その妻であるあなたは祖国であるフルール国を含む全ての国の国母となるのですから」
まるで舞台俳優にでもなったかのように、自分に酔いしれる様な芝居じみた科白を吐いた。
美しい顔と相まって、本来であれば見惚れる者もでてくるのだろうが、クロエにはそれどころではなかった。

私の為に世界の覇者になろうとして・・・私は殺され、世界が征服されたというの?!
沢山の人が・・・イサーク様がエドリード様が・・・ルドおじ様が殺されたというの?!
私の所為でっ・・・・

逆行し目覚めた時、何故リージェ国が世界を征服しようとしたのか、その理由までには辿りつけなかった。
それはルナティア達もで、単に己の権力を誇示したいが為なのだと思っていたのだ。
だが真実はそんな単純なものではなかった。いや、ある意味単純で明快な欲望。

クロエを手に入れるだけの為に、世界を征服した。

その言葉の意味が余りにも重くグルグルと頭の中で渦巻き、思わず大きく身体が揺れた。よろけるクロエの身体を、当然のようにイサークが支える。
「ガルド殿、我が妻を苛めないでいただきたい」
「苛める?何を言っておられる。それよりも、早くクロエ姫をこちらに渡していただきたいのだが。我が愛しい人に、他の男が触れているのを見るのは良い気持ちがしませんからね」
「ふぅ・・・何を言っても無駄なようだな」
恐らくどんなに言葉を重ねても、この件に関しては埒が明かないと判断したイサークは、クロエを腕に抱きながら剣呑な眼差しでガルドを見下ろした。
「ガルド殿、このまま退却するのであれば、見逃してやろう」
「見逃す?」
「あぁ。貴方は先ほど自分が世界の覇者になると言った。という事は、我が帝国をも侵略しようとしているのではないのか?」
「ふふふ・・もし、そうだと言ったなら?」
「お前は今とても不利な立場にある事を、わかっているのか?」
言葉が通じない苛立ちが、徐々にイサークの言葉遣いを乱していく。
「いいえ、不利だとは思っていませんよ」
そう言って手を挙げれば、兵士が一斉にガルドの後ろに整列した。
何処までも自分が有利だと疑わないガルドに、イサークも右手を挙げると、ざっと弓を持った兵士が並んだ。
ガルドも盾を持った兵士を前に配列させ、これから起きるであろう事に備えたのだった。
「まぁ、見逃すと言っても国に返す気はさらさら無いがね」
「捕虜とするということか?国との交渉に使う気なのか?」
「いや、既にリージェ国は落ちているからだ」
その言葉にガルドは何を言っているのだと、虚を突かれた表情になるが、すぐさま不敵な笑みを浮かべた。
「それはあり得ない。一体どこの国が我が国を落とすというのだ」
「連合軍だよ」
「連合軍?」
「そうだ。シェルーラ国を筆頭に我が国、そしてリージェ国と隣接する国々だ。お前が我が国を侵略しようとしていた事は、知っていた。だからお前が国を空けたと同時に攻め込む手はずとなっている」
その言葉に意味を理解するや否や、憤怒の形相となり声を荒げた。
「ならば、尚更ここから引けん!帝国を手に入れ私が新たなる覇者となるのだ!!皆の者、我に続け!!」

おぉぉ!!という、雄叫びと共に門を破ろうと大筒を持ったリージェ国の兵士たちが、勢いよく走り出したのだった。