わたしが結婚してからも、青田さんとの関係は続いた。距離が遠くなったので、話すことは少なくなったが、辛くなったら電話や手紙で話を聞いてくれた。

 過呼吸になりそうになったとき、どうやって回避しているかを論文にしていいか?と聞かれたこともある。

 長女が小さいときは、まだひどく不安定で、旦那さんの仕事に、しょっちゅうついて行っていた。その間は、旦那さんのお義母さんに長女を預けていたので、娘の取り合いにはならずにすんだ。

 先生は独立すると、余裕が無くなってしまい、わたしの好きだった笑顔を見る事か減っていき、話もあまり聞いてもらえなくなったので、家の近所に転院した。

青田さんは、寿退社をしてしまった。わたしは、
「復帰したら、愁ちゃんには絶対連絡するね!」
という口約束を、16年たった今も信じて待っている。
 
 青田さんと連絡が取れなくなって、いろいろありましたよ。

 旦那さんの浮気疑惑とか、それに付随したような、わたしの浮気。

 コップを割って泣きわめいたり、イライラして、娘のおもちゃを投げつけたりする度に、当時3歳の長女は私のもとに来て、
「かたいものはなげちゃだめでしょ!いいこいいこ!」
と、頭を撫でてくれたり。

 仕事に行ってしまう旦那さんを泣いて引き止めるわたしを、慰めるのも長女だった。

 おかげで長女はだれよりも…わたしよりも早く大人になっていき、青田さんの腕にすっぽり入っていた長女は、もう高校生だよ!

 そして、あの4年後に2人目の次女が産まれて、現在は反抗期の真っただ中。部活に入って、青春謳歌中。

 更に4年後、もう一人、今はおませな三女ちゃん。この子は、長女と次女のいいとこ取りをしてきたような天使ちゃん!

 青田さんは、元気ですか?わたしは、みんなにおいて行かれながらも、頑張って成長中です。そう、母の病気が遺伝しました。もう、なんかショックでもなくて、ただただ願うのは、子供達に遺伝しませんように…ってだけです。

 両親共に他界したし、多分この蓋は死ぬまで開けてはいけないなぁ…とか思いながら、たまに気になってます。

 青田さんと、またいつか話せるときが来たら、この蓋の中身について語り合いたいなぁ…

 最後に…青田さんは今幸せですか?

 わたしは、今が生きてきた中で、きっと1番幸せです……。