翔の部屋に入室した瞬間、後ろからぎゅっと抱きしめられる。「やっとだ」という声が耳元で響いた。
翔の風邪が治ってからの一週間は、お互いに出し物の準備や仕上げに明け暮れていたため、電話やメールはしていても、直接会って話す時間を取れないでいた。
当日を迎えた今日だって、運営やシフトのチェックなどで自由時間はまったくなく、唯一取れた十分ほどの休憩は、店番中の翔を遠くから眺めるだけで終わってしまった。
でも、それでもよかった。
やっと、会えた。
やっと、話せた。
やっと、触れられた。
会いたい、話したい、触れたい、と思う気持ちは、この瞬間のためのスパイスだったと思えたから。
「長かった、今日まで」
同じ気持ちでいてくれたのだと、言葉と体温で伝わってくる。
「やっぱすげえいい匂いする」
つむじに息がかかる。くすぐったくて笑ってしまった。
「ちくしょう、可愛すぎんだろ」
やがて体が離れ、優しく手を引かれる。そのまま二人でベッドにダイブした。目が合い、見つめ合う。
「おつかれ」
大好きな笑顔でそう言ってくれた。翔も、と笑顔を返す。
「お前と比べたら俺なんて楽な仕事だよ」
長く細い指が私の髪を捕らえ、滑るようになぞる。
「でも辛かった」
くるくると弧を描くように動く指に、髪が巻きついていく。
「あんまり一緒にいられなかったから」
引き寄せられ、距離が縮まる。翔のシャツに顔がうずまった。安心する匂い。大好き。
「いつ会いに行ってもすげえ忙しそうにしてるし」
会いに来てくれてたんだ。まったく気づかなかった。私はなんてことを。
「まあ、カッコいいお前見れたからよかったけど」
思わぬサプライズにニヤける。
翔もカッコよかったと返すと、驚いた表情を浮かべた。
「お前も見に来てたのか……」
翔のクラスは模擬店。私が見に行った時、翔は焼きそばを焼いていた。頭にタオルを巻いて一生懸命焼く姿は、なんだか男らしくてカッコよくて。
だけど。
「また今度、お前にも焼いてやる」
うん……、と自分でも分かるくらいの暗い返事が出た。
「どした?」
翔から目を逸らし、モテてた、と呟いた。
列に並ぶほとんどのお客さんが、翔目当ての女性だった。何を話しているかまでは聞こえなかったけれど、明らかに注文以外の言葉を投げていた人ばかり。
「別にモテてたわけじゃねえよ」
当の本人はそう言うけれど、「カッコいー!」とか、「あの顔好きー!」とか、彼女たちにいろいろとハートを飛ばされていたのは事実だ。
「他のやつらが何言おうと関係ねえし、興味ねえもん」
私の顎に手を添え、上に持ち上げる。優しく強い目と目が合った。
「俺にはお前だけだから。もちろん、お前にも俺だけだからな」
頬が熱くなる。触られ、さらに熱くなる。
「つーか、お前のクラスこそなんだよ」と髪をくしゃくしゃにされる。
「マーメイドカフェって!」
私のクラスの出し物は、人魚と海の世界観をモチーフにしたカフェ。
教室の装飾や照明、メニューから室内BGMまでそれっぽい雰囲気にこだわり、そこそこのクオリティで再現できた結果、売り上げは予想を遥かに上回った。
「……お前もさ、着たの? あれ」
尋ねにくいのか、語尾に向かうにつれて声のボリュームが小さくなっていく。
翔の言う「あれ」とは、店番時の衣装のことだったりする。接客担当の男子は、海の王様や、カメ、カニなどの生物をイメージしたものだけれど、女子に関しては人魚で統一されていた。
もちろん私たちは学生であり、舞台は学校。老若男女問わず様々なお客さんが来るので、一般的な人魚のイメージから考えると、露出度は低い。けれど、普段の制服よりかは肌の部分が多い。そんなところ。
複雑な表情で私の解答を待っている翔に、着てないよと笑って答えた。
そもそも私は接客担当ではない。ただ、手芸部が徹夜で手がけてくれた力作だったので、憧れの気持ちがあったことは否定できないけれど。
「お前のマーメイド姿、見たかったな」
えっ、と驚き苦笑しつつも、嬉しくなって少し悔しくなる。
翔なら喜んでくれたのかな、なんて。
「いや、んー……、やっぱ嫌だ」
額に柔らかい感触。キスを落とされた。思わず目を閉じると、今度は瞼にキスされる。
「他の男どもに見せたくねえ」
「あ、そうだ」と突然起き上がり、ベッドから降りた。
どうしたの? と尋ねる時間も与えず、翔は私の足元にあったタオルケットを広げ、それを私の下半身に巻きつけた。
「俺だけのマーメイド……、なんつって」
自分で決め、行動し、命名した。それにもかかわらず、この赤面である。可愛すぎるのはそっちだと、さっきの科白をそのまま返したい。
「……なにしてんだ、俺」
再びタオルケットに手を伸ばした。が、私はそれを捕らえ、引き寄せた。不意をつかれたのか「わっ」と間抜けな声が出る。それも可愛かった。
無防備な翔の頬に、優しくキスをした。
「……っ」
首元に腕を回し、もう一度。
「ちょっ……」
反応もあってかなんだか楽しくなり、弾むように何度も何度も繰り返す。
「わっ、ちょっ、やめろって! はは、急になんだよ、くすぐってえ」
「犬か、お前は」と唇を押さえられ、キス攻撃を阻止される。
「違った、お前は人魚だったな」
翔だけの、と付け足してあげた。
「……言うじゃねえか」
表情が変わる。男の人の顔になった。悔しいほどにカッコいい。
「人魚はあんな激しいキスしねえんだよ」
座る体勢を整え、向かい合う。見つめ合う。翔は何も言わなかった。私も黙って見つめ続けた。
整った顔が近づく。唇に唇が触れる、初めての。
「こういうキス。わかった?」
離れたあと、その唇はそう開いた。
「わかってねえな」
何も言ってないのに、と訴えるも、再度飛んできたキスに遮られる。
「顔でわかる。覚えるまで何度でもしてやるよ」
今度は少し強めに、ぶつかるように触れた。長い。深く沈む。息が漏れ、同時にあっ、と声が出た。恥ずかしい。顔が熱くなっていくのを自覚した。それをわかっていたのか偶然なのか、頭を優しく撫でてくれる。包み込むように触れる手に安心するも、苦しくなる。不思議な感覚だ。
「ん……っ」
口内に生温かいものが進入してきた。上手く息ができない。頭を支えられたまま、ゆっくりとベッドに押し倒される。私も翔の体を支えるように、受け止めながら。
「……っ、はあ」
唇が離れたあとの翔は、少し苦しそうだった。私も同じように息が荒くなっていた。
顔の横に両手を置かれ、動けそうにない。何より、この視線から逃げられない。
色っぽくて、カッコいい。
ふっと笑い、キスを落とす。まるで私の思考を覗いていたかのようなタイミングで。
唇の熱が、脳にまで伝わりそうな感覚。もう、意識を失ってもいいとさえ思えた。
「大丈夫か?」
見上げていたはずの翔は、気づけば私の横で微笑んでいた。私が頷くと、安心したのか天井を見つめ、深く息を吐いた。
「はは、すげえ、なんか夢みてえ」
右手を掲げ、それを見つめる。私がその手をとると、不思議そうな表情で見てくる。
私も、と同意し、右頬に優しく口づけた。目を閉じたことにより、お許しが出たのだと解釈した。
もう一度右頬にぶつける。今度は長く。まるで翔の肌を味わうかのように。
口元に移動させると、笑い声のような息遣いのような音がした。表情でわかった。笑っている。
「んっ」
看病をした時も、この部分に触れられるのは苦手そうだった。あれは翔のリクエストだったけれども。
「ふはっ……」
体を乗り出し、左頬にも軽くキスをしたあと、鼻に近づける。ちゅ、と軽く音を立てた。
なんだか恥ずかしくなってきて、笑ってしまう。「結局お前も笑うのかよ」と指摘された。
「あー……、バカップルだな、俺ら」
間違いないと思う。
幼なじみ歴十六年に対し、カップル歴二週間足らず。なかなかのスピードで公式認定してしまった。
でも、それでいい。これが私たち、だったりする。
「でも、これが俺らだもんな」
そう無意識に共鳴して、私の手を握る。
「なに笑ってんだよ」
この先どんな二人になったとしても、幼なじみという関係は変わらない。
だから、私たちらしくいたいと思った。
私たちのままで、一緒に歩きたいと思った。
ずっと、ずっと。
「ん、なに?」
私は翔の耳元に口を近づける。
大好き、と囁いて、初めて私から唇に。
〈完〉
翔の風邪が治ってからの一週間は、お互いに出し物の準備や仕上げに明け暮れていたため、電話やメールはしていても、直接会って話す時間を取れないでいた。
当日を迎えた今日だって、運営やシフトのチェックなどで自由時間はまったくなく、唯一取れた十分ほどの休憩は、店番中の翔を遠くから眺めるだけで終わってしまった。
でも、それでもよかった。
やっと、会えた。
やっと、話せた。
やっと、触れられた。
会いたい、話したい、触れたい、と思う気持ちは、この瞬間のためのスパイスだったと思えたから。
「長かった、今日まで」
同じ気持ちでいてくれたのだと、言葉と体温で伝わってくる。
「やっぱすげえいい匂いする」
つむじに息がかかる。くすぐったくて笑ってしまった。
「ちくしょう、可愛すぎんだろ」
やがて体が離れ、優しく手を引かれる。そのまま二人でベッドにダイブした。目が合い、見つめ合う。
「おつかれ」
大好きな笑顔でそう言ってくれた。翔も、と笑顔を返す。
「お前と比べたら俺なんて楽な仕事だよ」
長く細い指が私の髪を捕らえ、滑るようになぞる。
「でも辛かった」
くるくると弧を描くように動く指に、髪が巻きついていく。
「あんまり一緒にいられなかったから」
引き寄せられ、距離が縮まる。翔のシャツに顔がうずまった。安心する匂い。大好き。
「いつ会いに行ってもすげえ忙しそうにしてるし」
会いに来てくれてたんだ。まったく気づかなかった。私はなんてことを。
「まあ、カッコいいお前見れたからよかったけど」
思わぬサプライズにニヤける。
翔もカッコよかったと返すと、驚いた表情を浮かべた。
「お前も見に来てたのか……」
翔のクラスは模擬店。私が見に行った時、翔は焼きそばを焼いていた。頭にタオルを巻いて一生懸命焼く姿は、なんだか男らしくてカッコよくて。
だけど。
「また今度、お前にも焼いてやる」
うん……、と自分でも分かるくらいの暗い返事が出た。
「どした?」
翔から目を逸らし、モテてた、と呟いた。
列に並ぶほとんどのお客さんが、翔目当ての女性だった。何を話しているかまでは聞こえなかったけれど、明らかに注文以外の言葉を投げていた人ばかり。
「別にモテてたわけじゃねえよ」
当の本人はそう言うけれど、「カッコいー!」とか、「あの顔好きー!」とか、彼女たちにいろいろとハートを飛ばされていたのは事実だ。
「他のやつらが何言おうと関係ねえし、興味ねえもん」
私の顎に手を添え、上に持ち上げる。優しく強い目と目が合った。
「俺にはお前だけだから。もちろん、お前にも俺だけだからな」
頬が熱くなる。触られ、さらに熱くなる。
「つーか、お前のクラスこそなんだよ」と髪をくしゃくしゃにされる。
「マーメイドカフェって!」
私のクラスの出し物は、人魚と海の世界観をモチーフにしたカフェ。
教室の装飾や照明、メニューから室内BGMまでそれっぽい雰囲気にこだわり、そこそこのクオリティで再現できた結果、売り上げは予想を遥かに上回った。
「……お前もさ、着たの? あれ」
尋ねにくいのか、語尾に向かうにつれて声のボリュームが小さくなっていく。
翔の言う「あれ」とは、店番時の衣装のことだったりする。接客担当の男子は、海の王様や、カメ、カニなどの生物をイメージしたものだけれど、女子に関しては人魚で統一されていた。
もちろん私たちは学生であり、舞台は学校。老若男女問わず様々なお客さんが来るので、一般的な人魚のイメージから考えると、露出度は低い。けれど、普段の制服よりかは肌の部分が多い。そんなところ。
複雑な表情で私の解答を待っている翔に、着てないよと笑って答えた。
そもそも私は接客担当ではない。ただ、手芸部が徹夜で手がけてくれた力作だったので、憧れの気持ちがあったことは否定できないけれど。
「お前のマーメイド姿、見たかったな」
えっ、と驚き苦笑しつつも、嬉しくなって少し悔しくなる。
翔なら喜んでくれたのかな、なんて。
「いや、んー……、やっぱ嫌だ」
額に柔らかい感触。キスを落とされた。思わず目を閉じると、今度は瞼にキスされる。
「他の男どもに見せたくねえ」
「あ、そうだ」と突然起き上がり、ベッドから降りた。
どうしたの? と尋ねる時間も与えず、翔は私の足元にあったタオルケットを広げ、それを私の下半身に巻きつけた。
「俺だけのマーメイド……、なんつって」
自分で決め、行動し、命名した。それにもかかわらず、この赤面である。可愛すぎるのはそっちだと、さっきの科白をそのまま返したい。
「……なにしてんだ、俺」
再びタオルケットに手を伸ばした。が、私はそれを捕らえ、引き寄せた。不意をつかれたのか「わっ」と間抜けな声が出る。それも可愛かった。
無防備な翔の頬に、優しくキスをした。
「……っ」
首元に腕を回し、もう一度。
「ちょっ……」
反応もあってかなんだか楽しくなり、弾むように何度も何度も繰り返す。
「わっ、ちょっ、やめろって! はは、急になんだよ、くすぐってえ」
「犬か、お前は」と唇を押さえられ、キス攻撃を阻止される。
「違った、お前は人魚だったな」
翔だけの、と付け足してあげた。
「……言うじゃねえか」
表情が変わる。男の人の顔になった。悔しいほどにカッコいい。
「人魚はあんな激しいキスしねえんだよ」
座る体勢を整え、向かい合う。見つめ合う。翔は何も言わなかった。私も黙って見つめ続けた。
整った顔が近づく。唇に唇が触れる、初めての。
「こういうキス。わかった?」
離れたあと、その唇はそう開いた。
「わかってねえな」
何も言ってないのに、と訴えるも、再度飛んできたキスに遮られる。
「顔でわかる。覚えるまで何度でもしてやるよ」
今度は少し強めに、ぶつかるように触れた。長い。深く沈む。息が漏れ、同時にあっ、と声が出た。恥ずかしい。顔が熱くなっていくのを自覚した。それをわかっていたのか偶然なのか、頭を優しく撫でてくれる。包み込むように触れる手に安心するも、苦しくなる。不思議な感覚だ。
「ん……っ」
口内に生温かいものが進入してきた。上手く息ができない。頭を支えられたまま、ゆっくりとベッドに押し倒される。私も翔の体を支えるように、受け止めながら。
「……っ、はあ」
唇が離れたあとの翔は、少し苦しそうだった。私も同じように息が荒くなっていた。
顔の横に両手を置かれ、動けそうにない。何より、この視線から逃げられない。
色っぽくて、カッコいい。
ふっと笑い、キスを落とす。まるで私の思考を覗いていたかのようなタイミングで。
唇の熱が、脳にまで伝わりそうな感覚。もう、意識を失ってもいいとさえ思えた。
「大丈夫か?」
見上げていたはずの翔は、気づけば私の横で微笑んでいた。私が頷くと、安心したのか天井を見つめ、深く息を吐いた。
「はは、すげえ、なんか夢みてえ」
右手を掲げ、それを見つめる。私がその手をとると、不思議そうな表情で見てくる。
私も、と同意し、右頬に優しく口づけた。目を閉じたことにより、お許しが出たのだと解釈した。
もう一度右頬にぶつける。今度は長く。まるで翔の肌を味わうかのように。
口元に移動させると、笑い声のような息遣いのような音がした。表情でわかった。笑っている。
「んっ」
看病をした時も、この部分に触れられるのは苦手そうだった。あれは翔のリクエストだったけれども。
「ふはっ……」
体を乗り出し、左頬にも軽くキスをしたあと、鼻に近づける。ちゅ、と軽く音を立てた。
なんだか恥ずかしくなってきて、笑ってしまう。「結局お前も笑うのかよ」と指摘された。
「あー……、バカップルだな、俺ら」
間違いないと思う。
幼なじみ歴十六年に対し、カップル歴二週間足らず。なかなかのスピードで公式認定してしまった。
でも、それでいい。これが私たち、だったりする。
「でも、これが俺らだもんな」
そう無意識に共鳴して、私の手を握る。
「なに笑ってんだよ」
この先どんな二人になったとしても、幼なじみという関係は変わらない。
だから、私たちらしくいたいと思った。
私たちのままで、一緒に歩きたいと思った。
ずっと、ずっと。
「ん、なに?」
私は翔の耳元に口を近づける。
大好き、と囁いて、初めて私から唇に。
〈完〉