◇◇

 私、リアーヌ・ブルジェは今、一つの決断を迫られていた。
 目の前にはズラリと人々が並び、私の言葉を今か今かと待っている。

(そんなに怖い顔で見つめられたら、緊張しすぎて声が出ないよ)

 ひたいから汗が浮く。
 膝の震えが止まらない。
 ……と、そこに黒い軍服が良く似合う背の高い男性が近寄ってきた。

「リアーヌ」

 耳にしただけでふわりと浮き上がってしまいそうな甘い声。
 
「は、はい……」

 一方の私は、かちこちに固まった岩石のような声を出すのがやっと……。
 そんな情けない私まであと一歩の距離で足を止めた彼は、前かがみになって視線を合わせてきた。
 豊穣の女神様を思わせるような中性的で美しい顔が、ずいっと近づいてくる。

(近い! 近い!)

 ぐんと体温が上がり、頭の中が沸騰した。

(どうしてくれるのよ! 余計に何も考えられなくなってしまったじゃない!)

 なんて文句も言えるはずもなく、ただ唇を噛みしめるしかない。
 すると私の緊張を解こうとしたのか、彼はニコリと微笑んだ。
 
「リアーヌに怖い顔は似合わんよ」

 彼の名はジェイ・ターナー。
 ヴァイス帝国の英雄にして、かつて『彗星の無双軍師』とあだ名されたほどの人物。
 とてもそんなすごい人とは思えないほどに、気さくで穏やかな口調だ。
 そして、戦場で見せる鬼のような形相とは裏腹に、爽やかな秋風を思わせるような笑顔でこう告げてきたのだった。
 
 
「心配しなくていい。リアーヌは一人じゃない。俺がずっと守ってやるから」


 甘い言葉にズキンと胸が高鳴り、自然と顔が熱くなる。

「え、あ、うん……」

 きっと顔がリンゴのように真っ赤になっているはずだけど、自分ではどうしようもない。
 そこに冷水をあびせてきたのは、弟のヘンリーだった。
 
「やいっ! 姉さん! ジェイはヘイスターの参謀として、『この町をずっと守ってやる』って言っただけだからな! なんで顔を真っ赤にしてんだ! まさか愛の告白でもされたと勘違いしてるんじゃないだろうな!?」
 
「わ、わ、わ、分かってるわよ! そんなことくらい!」

 でもちょっぴり期待していた……と本音なんて言えるはずもない。
 ちなみに『ヘイスター』とは、ヴァイス帝国に属している辺境の町。
 今、私たちはその町にいるのだけど、なんとヴァイス帝国の軍隊が攻めてくるというのだ。
 本来ならば帝国軍は私たちを守るためにいるはずなのに、どうしてこんなことになっちゃったのか……。
 それについては深い訳があるのだけど、とにかくこの大ピンチを乗り切らなくちゃならない。
 
 ところが、そんな絶体絶命の状況でも天才軍師のジェイはあきらめなかったの。
 彼は絶望的な状況をくつがえす策を考え出した。
 それを受け入れるかどうか、私は求められているのだ。
 
「リアーヌ……」

 パパが心配そうに声をかけてきた。
 その他の人々も期待と不安の入り混じった瞳で私を見つめている。
 
(どうしよう……。私には自信がないよ……)
 
 自然と顔がうつむいてしまう。
 今すぐにでも逃げ出したい。
 でも、そんなことができるはずもなく、こぼれ落ちそうになる涙を抑えるだけで必死だった。
 ……と、その時。
 
――フワッ……。

「へっ……?」

 なんとジェイが優しく抱きしめてきたではないか……。
 にわかに混乱しているうちに、彼は耳元でそっとささやいてきた。
 
「大丈夫。リアーヌならやれるさ」

 温かくて甘いホットチョコレートのような言葉。
 私の心にポッと火がともる。
 
「ちょっとジェイ! リアーヌは貴族令嬢様なのよ! 失礼でしょ!」
「きぃぃぃ!! ジェイさまぁ!! ダメです! ぎゅーはダメです!」
「ジェイ。ふしだらだぞ」

 女性陣から罵声が浴びせられたところで、彼はゆっくりと離れる。
 そして表情をきゅっと引き締めた。
 
「リアーヌ。忘れちゃだめだ。君には『希望』を『現実』に変える力があるってことを」

――ドックン……。

 大きく脈打つ胸の鼓動。
 
(『希望』を『現実』に変える力……)

 心の中でジェイの言葉を繰り返すと、みるみるうちに全身に力がわきあがってくる。

「いい目してるじゃねえか」

 私の目をじっと見つめ続けていたジェイが微笑む。
 私は小さくうなずいた。
 もう大丈夫……そう思いを込めて――。
 みんなに向かって、高らかと宣言したのだった。
 
 
「それなら私が女王になります!!」


◇◇

 これは、なんの変哲もない貴族令嬢の私、リアーヌ・ブルジェが女王を目指す物語。
 とても平坦とはいかないけど、私は乗り越えられる気がしているの。
 だって……。
 
 目の前で優しく微笑みかけてくれる天才軍師がいるのだから――。