ケータイ小説 野いちご

belief is all 『信念がすべてさ』

1979年、時代は風のように流れた‥。
青白い心の空洞

 がむしゃらに走り続けてきたが、大きなトラックを一周しただけだった。挫折との出会い、俺の夢は青白い心の空洞と化していった。

 大きな夢に挫折し諦めの気持ちからもあっただろう。
(いつか小さなビストロでも持てれば‥‥)
その頃は料理人として生きていこうと本気でそう腹を決めかけていた。
 しかし‥‥
 又バイク事故だ。

 勤務していたレストランバーから終夜働いて中型バイクで帰宅する途中、朝の通勤で車の込んだ道を真っ直ぐ跳ばしていたら、前方を横切ってきた車が突然道路上で停車した。俺はそのままそこへ突っ込み、次に気がついたのは数日後、病室の中だった。鼻は又折れ、前歯は無く、顔も縫い傷だらけ、舌も相当切れていたようだった。おまけに蜘膜下出血。集中治療室で数日意識が無かったと言う。憶えているのは三つ目に入った六人部屋の病室で、それ迄の事は全く記憶に無い。大量に流した血液からアルコールの反応が出てそのまま免許証を失った。俺にはその方が良かったと言えるだろう。
 退院後、職場に復帰はするが俺のいれるポジションはもう無く、経営者から
「リハビリを兼ねて暫くは洗い場で慣れていってくれ」
と言われ従うが、それから二年間ずっとそのままの仕事を受け持った。事故前には中心で料理を作るポストにいたのだが‥。
 その頃から
(コックと云う仕事は俺には運が無いんじゃないか?)
あらゆる事が裏目に出て、元の仕事を得られぬ苦しみや人間関係から急激に体調を崩していった。慢性的な胃痛や腸の障害。飯を食おうとすれば吐き気がし、酒でも飲もうとすれば嘔吐した。一日中そんな繰り返しでいつも涙目でいた。
(バンドもダメ、コックもダメ、しかし俺は飲食の世界以外では潰しがきかないようだ。それなら元々酒の世界にいたのだからバーテンダーになるのが残された道だろう‥)
そう思い立ってスッパリ考えを切り換えた。
(よしバーテンダーを目指そう、タロット・カードを実現しよう!‥)
 又もや懲りない俺の夢を追う旅が始まりつつあった。

 数ヶ月後、経営者からの
「店を辞めて欲しい」
と言う申し入れを受入れ、俺は池袋のバーテンダー募集の広告に飛びついた。

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