──麗から、聞いてるんだよね?

 三条課長の話はこう始まった。
 麗の名前がでたことで、思い出すのはもちろん結婚の話。
 ほかに付きあっている人がいるのに、このままでは三条課長との結婚に乗り気な両親に話を進められてしまう、だから笑留何とかして。そんな会話だった。
 まさか、あたしと三条課長が結婚するなんて、本気にするはずもないけど、協力って一体何をすればいいのだろう。
「結婚の話……ですよね」
 場所が場所だけに、あたしは落ち着きなく膝の上で両手のひらをこすり合せた。
 今まで入ったこともない役員専用の執務室。
 彼のお父さんである、三条専務が仕事で使う部屋だ。
 どうして会社の上層階に位置するこんな場所にいるのかといえば、三条課長にシャワーを浴びたいからと連れてこられたためだった。
 もうとっくに昼休みは過ぎている。打ち合わせは入っていないし、急ぎの仕事はないけれど、いち社員がこんな場所で呑気に寛いでいていいはずがない。
 けれど、仕事に戻らないと、などと上司である三条課長には言えなかった。そこには、もう少し一緒にいたかった、という隠しきれない想いも含まれている。
 それに彼は、抜かりなく直属の上司に連絡までしてくれていた。
「うん。俺の親も麗のことは子どもの頃から知ってるし、安心もあるんだろうけど……さすがにこの歳で恋愛に口出されるのはね。好きな人くらい自分で見つけたいんだよ、俺は」
「それは、そうですよね」
 うんうん、恋愛もせずにいきなり結婚なんて無理だし。
 もしあたしだったら、三条課長と恋愛できるなんて宝くじが当たったようなものだ。今のところ妄想限定だけれど。
 三条課長に好かれる女の人は、どういう人なんだろう。
 羨ましいなと思うより、想像ができない。ずっと、麗と恋人関係にあると思っていたし、お似合いだとも思っていたから。二人で話していると映画のワンシーンのように絵になる。写真に収めたらブライダル雑誌の表紙を飾れるレベルだ。
 麗が言うには、自分と正反対らしいけれど。
「だからね、俺と恋愛してみない?」
「あ、はぁ……」
 頭の中を埋め尽くす疑問のせいで、彼の言葉がまったく耳に入ってこなかった。
 あれ、今何か大事なことを言われた気がするのに。
 首を傾げて三条課長を見つめると、優しげに細められた目があたしを見つめていた。
「じゃ、今日から恋人ってことでよろしくね。笑留?」
「はぁっ!?」
 今日から、恋人っ⁉︎
 やっぱり、あたしは今、夢を見てるいるのだと思う。
 だってこんなのありえない。
 社内の王子様、三条課長は意外にも結構強引で、あたしと恋人になると言っている。
 騙されていても、夢でもいい。
 恋人のフリでも、婚約者のフリでも、もうなんでもします。
 だって、ほんのひと時だけでも、三条課長の恋人になれるという最高の夢が叶う。
 きっとこんな日は二度と来ないから。