「父の百貨店でやったことがありましたので」

それもそのはず。お嬢様ならお茶だって淹れることなど日常茶飯事で、茶道の心得だって身につけていて当たり前かもしれない。私が未だに勉強中の抹茶だって簡単に点てられるのだろう。

お客様がおすすめを聞いてきて愛華さんが棚からさっと商品を取った時は思わず胸に手を当てて深呼吸し、自分を落ち着かせた。商品の位置を覚えた愛華さんはお客様の好みのお茶をきちんと提供できる。初日でこれは驚いた。愛華さんの近くにいればいるほど不安になる。

「龍峯のお茶はほとんどの商品を飲み慣れていますから」

可憐な笑顔に恐怖すら覚える。私が何も教えなくても愛華さんは龍峯をよく知っている。私が必死で覚えた龍峯の業務を愛華さんはいとも簡単にこなす。
退職まであと数日ここに出勤するけれど、これでは私がいてもいなくても変わらない。私がいなくなったこの店で、愛華さんは変わらず楽しく仕事をするのだろう。

開けたままの扉の奥から微かに数人の声が聞こえた。その中に聡次郎さんがいることに気付いた瞬間、「三宅さん」と愛華さんに呼ばれた。

「はい」

「あの……お化粧室に行ってきてもよろしいでしょうか?」

「ああ、はい、大丈夫です」

愛華さんは私に軽く頭を下げるとお店から出て廊下に行った。
私は嫌な予感がした。廊下には今聡次郎さんがいる。数人の社員も一緒だろうけど、2人が同じ空間にいることが不安で仕方ない。
案の定愛華さんの声が聞こえてきた。会話の内容までは聞き取れないけれど、愛華さんがいるのは化粧室ではないことはわかった。

しばらくして戻ってきた愛華さんの表情は心なしか暗くなったように感じた。