「おい、あゆか?」

 ……ふと声をかけられて、我に返る。

「あ……和秋」

「何ぼーっとしてんだよ」

 また、怪訝そうな顔をする和秋。
 ここ数日で、何回くらいそんな顔を見ただろうか。それだけ、あたしの様子がおかしいってことなのだろう。

「次、移動だぜ?」

「ん……あ、そうだったね」

 教室を見回すと、また今度も、あたし達以外には誰もいない。思い出す。確か、二時限目は美術の授業だったかな……。

(えーと、確かそのはずだよね)

 自分に言い聞かせていると、

 
「あゆか?」

 また、彼の声が振り向かせる。

 
「え? ああ……何」

「何、って……」

 和秋は怪訝な表情に、不安そうな色を重ねた。

「あゆか、おまえ最近本当におかしいぜ? マジで病院行ったほうがよくねーか?」

 ……本当に、あたしを心配してくれる。それが、わかる。痛いくらいに、わかる。
 でも、それはあたしの欲しい気遣いじゃないから。
 彼の優しさは、ただの友達に対する感情だから。
 ……だから。
 きっと、あたしはイライラしてしまう。

「へーきだって!」

 あたしは殊更元気に立ち上がる。
 空元気で、強がりで、ごうじょっぱり。そのくらいの余裕はあったけれど――

「……だけどよ」

「平気だよ!」

 食い下がってくる和秋に、あっさり余裕はなくなってしまう。あたしはつい、険のある声で言ってしまった。しまった、と思うけれど、もう遅い。 
 彼の顔色が、少し変わる。それは、怒っているのか。ただ、戸惑っているだけなのか。
 ……それを、確認する前に。
 あたしはおどけた感じで、言葉を返す。

「あはは、ごめん。ごめん。最近、ちょっと寝不足なんですよ」

 本心を押し殺すための、都合のよい言い訳を探す。

「最近、台詞の暗記に手間取っててさ。ほら、あたしも頑張らないとね?」

 それは、とても理屈の通る言葉に思えた。
 公演を間近に控えて、役の台詞を暗記しなくてはならない。そのために少し寝不足で、だからイライラもしている。そのせいで当たってしまってゴメンネ……ほら、何て素敵な言い訳だろう。

 
 自分以外は、きっと誤魔化せる言い訳でしょう。

 
「それなら、いいけどさ」

 一応は納得の色を見せてくる和秋。あたしは、そこにたたみかける。

「ほらほら、早くいこー。遅刻しちゃいますですよ」

 あたしは小脇に教科書やらを抱えて、もう片方の手で和秋を押し出す。気安い幼友達に、気軽に触れるように――そんな、演技をする。

 
 さすが、演劇部員。惚れ惚れするほどの名演技だ。
 ほら、和秋は騙されている。だから、平気。こうやって、ずっとずっと演技をしていけばいい。
 心の痛みなんて、押し殺して。誤魔化して。やり過ごして。

 
 ずっと、ずっと。
 そんなことを、繰り返して。

 
 いつまで。
 いつまで?

 
 ――あたしは、いつまで……こんなことを繰り返していればいいのかな? 
 
       ◇
 
 放課後の校舎。
 あたしは、部室がある南校舎に向かっている。
 遠くに聞こえる楽器の音色、吹奏楽部の練習だろう。それが、何だかひどく物寂しい。
 踏みしめる廊下が、ひどく頼りなかった。油断すると、踏み外してしまいそうだ。
 そんなこと、あるわけがないのに。
 歩きなれたはずの部室への道のりも、うっかりすると迷ってしまいそうだった。

(……何だろう、この感覚って)

 となりに、和秋の姿はない。
 彼は生徒指導室に呼ばれているせいで、部活には少し遅れる。 
 残念に思う反面、どこかほっとしている自分がいた。
 彼のそばには、いたい。でも、そばにいると痛い。心が、軋んで。ずきずき、とうずいて……たまらない。

(ほんと……何時まで、こんなことをしていればいいんだろう?)

 自問する。自分自身に、問いかける。