ケータイ小説 野いちご

少年たちと少女≒蝶と蜘蛛

蜘蛛は、厄介者なんじゃない?

「蝶が気になる?」
 部活をサボって、学校の近くのコンビニで雑誌を立ち読みしながら、透也は言った。
「どういう意味」
「そういう意味」
 杏里は透也よりも頭一つ分背が高い。透也が杏里の方を向くと、綺麗な角度の首と顎が見える。
「凍蝶を目覚めさせたのはお前だ」
 雑誌に目をはせながら杏里は言った。透也はその横顔を凝視した。
「蝶って目が見えると思う?」
「見えるんじゃないの?あんなおっきい目がついてるじゃん」
 透也が次の雑誌を探しながら言った。
「見えないんだよ。花に反射する光で、その花が何色か判断するんだ」
「杏里、お前難しいこと知ってるな」
「難しいことなんて、一つも言っていないと思うけど?ま、俺と透也じゃ脳みその詰まり具合が違うから仕方ないけどな」
「ムカつくなーお前。でもどうしてそんなに詳しいんだよ。やっぱり蝶が好きなんだろ」
「嫌いだとは言っていない」
 パラ、と杏里が骨ばった指でページをめくる。
「花は蝶が必要だ。子孫を残すためにはな。蝶だって、生きるためには花が必要だ」
「ギブアンドテイクってわけか」
「花と蝶ともう一つ」
「蜘蛛、だろ」
 透也のその言葉に、杏里は横顔のまま少し笑った。
「そう、蜘蛛だ」
「蜘蛛は厄介者なんじゃない?」
「蜘蛛にも生きる権利はある」
「何か、お前ってテツガクシャみたいだな」
 その時、ドタン、と並々ならぬ音がしてコンビニのドアが開いた。音につられてそっちを見ると、陸上部の顧問がすごい形相で二人をにらんでいた。
「やっぱりここか!中谷!村山!」
「やばー・・・」
 二人は顔を見合わせて、そぅっと雑誌を置いた。
「部活サボってばかりで何やってんだ!もう逃げられないぞ!」
 顧問の体の周りに、心なしか青い炎が見える。全校集合の時も脱がない、その青いぴちっとした上下ジャージ姿が、まるで舌を出す蛇のように見えた。
「逃げられなさそうだな、杏里」
「だな」
「お前ら、これから学校に行って部室の掃除してこい!」
「だってもう七時・・・」
「いつも遊びまわっているなら、七時なんてまだ真昼間だよなぁ?」
「え~」
「明日の朝見てやってなかったら、お前ら一ヶ月トイレ掃除と草むしりだ!今なら校長先生のお説教付きだぞ!早く行け!走れ!」
「くそーついてない。杏里のせいだからな!」
「何で俺のせいなんだよ!」
「ぶつくさ言っていないで行け!」
「「はーい」」
 二人同時に、コンビニを出て走り出す。外はもう闇。ヘッドランプとテイルランプが行き交う国道を避け、車通りの少ない海岸通りを行った。
二人の通う中学校は、周りを小さな森に囲まれ、少し小高い丘の上に位置する。そこまでの坂道が、生徒の毎日の悩みの種だ。とにかく急で、長いのだ。
かけていると、口には冷たい風が入り込んでくるのに、体の内部は火を灯したように熱くなる。
「坂は歩こうぜ」
 透也が言い、二人で荒い息を落ち着かせながら坂を登った。
「誰がチクったのかな」
「いや、あいつが密かに調べていたのかもしれない」
「有り得ない話じゃないな。陸上部、人数多いから部室も他より広いのに」
「次はもっとうまくやらねば」
「杏里って将来、悪徳官僚とかになって、罪のない市民から血税をふんだくりそうだよな」
「そうなるつもりだけど?」
 杏里はその整った顔でにやりと笑い、メガネを直す仕草をした。
「何でこんなヤツがもてんのかなぁ。世間は間違っていると叫びたいよ。しかもどうしてダテメガネだって誰も気づかないのかな」
「ま、俺はカリスマだからな」
「カリスマ馬鹿?」
「お前が馬鹿とか言っても説得力ないな」
「むっかつく~」
 透也は地団太踏んで悔しがった。やはり、言葉では杏里にかなわない。
「その嫌味な態度直せよな」
 杏里は黙って、グラウンドに隣接した部室に向かった。陸上部専用の鍵を、近くに建つ銅のモニュメントの下から取り出した。
「無視すんなよ」
「透也のせいで俺の株が下がった。何かおごれよ」
「あいつの株くらい下がったってどうってことないだろ」
 杏里はその言葉を受けて、考え込むような仕草をした。
「俺といるから、少しは頭が働くようになったな」
「褒めてんの、けなしてんの」
「両方」
 そう言いながら、杏里は誰もいない部室の電気をつけた。
「うわ、くっさー。さっさとやって帰ろうぜ」
 部室の窓から外を覗くと、見えるのは道路を照らす街灯だけ。生徒も教師も、もう学校には残っていないらしい。
「杏里、ホウキ取って」
 すのこをロッカーに立てかけた透也が杏里に向かって叫ぶと、ホウキが投げてよこされた。さっき走ったせいか、人のいない部室でも寒さを感じない。
ホウキで床を掃き出して十分ほど経った頃、透也は杏里の気配がないことに気がついた。
「杏里?」
 返事はない。
「杏里!」
 透也はさっきよりも大声で呼んだ。
「杏里―!」 
 声は虚しく壁に吸い込まれて消えた。途端に、灰色の不安が透也を襲った。
「杏里、杏里!」
 透也はホウキを投げ出したものの、どうしていいかわからず途方にくれた。その様子を、杏里は二階へと続く階段脇の壁にもたれて聞いていた。
「杏里、どこに行ったんだよ!」
 慌てた様子で杏里の名前を呼びながら、走ってくる透也の足音。
「杏里・・・!」
 壁際に立つ杏里を見つけると、透也は感情の入り混じった表情で、杏里の首に巻かれたマフラーを引っ張った。
「・・・いきなり消えんな」
 その、今にも泣き出しそうな顔を見て、杏里は満足げに微笑み、透也を抱き寄せた。
「杏里、・・・」
「よしよし」
 杏里の手が、透也の色の薄い猫っ毛をなでた。
「子供扱いすんじゃねえ」
 杏里のコートに顔をうずめているせいか、くぐもった声で透也は言い、杏里から体を離した。強引に自分の学ランの袖で目をこすると、透也は杏里に背を向けた。
「杏里が悪いんだからな。掃除サボってんじゃねーよ」
「はいはい」
 羽化する前の少年は、自分がまだ何に変化するのかを知らない。白い優しい糸にくるまれて、目覚めの時を待っている。


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