ケータイ小説 野いちご

少年たちと少女≒蝶と蜘蛛

あの子って、蝶みたいだ

すぐに仲間ができてしまう透也は、いつも不思議に思っていた。中学校に入学して二年が経とうとしているのに、一度も話したことのない女の子。気づくといつも、その子は窓の外を見ていた。
「森中の席に何かあるのか」
 その少女、森中鈴音の空席を見つめ続ける透也に、親友の杏里が声をかけた。
「別に」
 透也はそっけなく答えたが、その視線はまだ、その席に注がれている。
「森中って変なヤツだよな。誰ともしゃべろうとしないし。しゃべれない、とは違うよな」
「あの子って、蝶みたいだ」
「は?」
「俺、蝶って嫌い」
「なるほどね」
 杏里が笑って透也の肩を叩く。本当は知っている。杏里は一度もそんな素振りを見せたことはないけど、あの子を気にしている。
 はらはらと舞い飛び、消え入りそうに光る、あの子は蝶だ。でも俺は知っている。いつか蜘蛛に捕われてしまうこと。
 透也は、廊下の方から自分を呼ぶ杏里の声に応えて、淡い、冬の終わりの光が差し込む教室を出た。

 太陽の傾きかけた教室の、窓際の下の壁にもたれて、透也は目を閉じていた。強い西日が教室中を這い回り、壁を背にして陽を遮らないと目も満足に開けていられない。
 杏里と透也の所属している陸上部は、今日は休みだ。杏里は歯医者だとか言って先に帰ってしまった。透也は一人、誰もいない教室で、ケイタイにおとしたサカナクションを聞いていた。
 ケイタイを閉じると、いつもは声と音に溢れている教室が、まるで元から音がなかったかのように静まっているのに気づく。光の粒子が見えるくらいに。
 透也はヘッドホンを外して鈴音の席を見つめた。窓際の一番後ろ。その席からは、一体何が見えるのだろう。
 透也が立ち上がろうとした瞬間、誰かの乾いた足音と、教室の扉を開ける音がした。鈴音だった。いつも教師に違反だと言われても束ねようとしない、背の中ごろまである髪の毛が、鈴音をまるで日本人形のように見せている。
 鈴音は扉を閉めて教室に入ってくると、透也に気がつかないのか、窓際まで歩いて来ていきなり窓を開けた。陽の光で温まった教室に、二月の冷たい風が吹き抜ける。それでも透也は、身動き一つせずに鈴音を見つめ続けた。その視線の先に何があるのか知りたかった。
 窓枠に手をかけたまま、鈴音は黒い髪をなびかせて何かを見つめている。花の在り処を見つけたのだろうか?
「中谷君」
 鈴音が体勢を少しも崩さずに、独り言のように言った。透也は驚いて、自分の膝を机の足に思いっきりぶつけた。
「ってぇ・・・気づいていたんなら言えよ」
 鈴音が、透也を見下ろす形で視線を合わせた。透也は、自分の心がなぜか残酷さを帯びていくのを感じていた。何もかもを壊してしまいたいような。
「私って、蝶みたい?」
 鈴音のセーラー服の襟がはためく。心を読まれた?違う、杏里だ。でもどうして杏里が?
 鈴音は風で乱れる髪の毛をかきあげた。
「俺、蝶は嫌いだ」
 鈴音がゆるりと微笑む。金の燐粉が、風に乗って透也を惑わせる。花の在り処は、教えてくれそうにない。
「気になる?私のこと」
 透也は立ち上がり、鈴音が開けた窓を強く、音を立てて閉めた。それでも表情を変えない鈴音に、透也はいらだった。
「蜘蛛の巣にひっかかっちまえばいい」
 怒鳴るように言うと、透也は教室を出た。蜘蛛の巣に手も足も絡まって、動けなくなってしまえばいい。そしてもう何も見えないよう、その目をえぐり取られてしまえばいい。

「うちのクラスの伊藤、お前のこと好きらしいよ」
 給食を食べ終わったあと、透也と杏里は屋上へ来ていた。風が強く、二人は給水塔の下に座って風をよけた。
「へー」
 気のない返事をする杏里に、透也は眉根を寄せた。
「それだけかよ」
 伊藤は、学年で一番もてるタイプの女の子だ。どうして、と食い下がる透也に、杏里は怪訝そうな顔を向けた。透也の言ったことは全部嘘だった。しかし、杏里は身長も高いし顔もいい。おまけに成績優秀で口もうまいときている。大体の女子は杏里に気があるといっていい。伊藤の話だって、あながち嘘から出た真かもしれない。でも、二年近く一緒にいる杏里の口から、特定の女の子の名前を聞いたことはない。
「杏里、勉強ばっかりじゃ人生楽しくないよ」
「いつ俺が勉強ばっかりしているよ」
「じゃあどうなんだよ」
「何が」
「好きな女の子とかいないのか?」
 杏里は少し黙って、ポケットから煙草と百円ライターを取り出した。
「吸うか?」
「いい、俺、すぐ髪に匂いがつくから」
 透也が断ると、杏里は慣れた手つきで煙草に火をつけた。立ち昇っていく煙を見つめながら、
「いるかもな」
 とつぶやいた。
「何だよそれ」
 言いながら、透也が学ランの第二ボタンを外した。
「杏里、蝶好き?」
「蛾よりは好きかな」
 そして、何のこと言ってんの、と続けた。
「俺、見ていると殺したくなる。握りつぶしてぐしゃぐしゃにしたくなる。俺って、変?」
「普通」
 杏里は、遠く青い空を見つめていた。
「やっぱ俺も吸う」
「匂いがつくんじゃなかったっけ」
「いーよ、くれ」
「はいはい」
 杏里の、煙草とライターを渡す手が、妙に大人びて見えた。
「杏里、手ぇでかいね」
「まーね」
 透也がマルボロの重い煙を吐き出すと、それはすぐに風に消えた。
「二月にしちゃあ今年は寒くないな」
「うそかまことかの温暖化。北極の氷が溶けて流れて、俺たちもうすぐ死ぬんだろ」
 杏里の真っ黒い髪の毛にも、透也の薄茶色の髪の毛にも、昇る煙がまとわりついた。
「そういうお前はどうなのよ」
「・・・いるかもな」
 杏里は、黙って俺をにらんだ。
「お互い様だろ。今日のグラウンドならしの当番、俺らじゃなかったっけ」
「そうだよ」
「めんどくせー、マットとバーだけかたすのも大変なのに」
「じゃあやめれば?陸上部」
「しょうがないだろ。この学校、部活は強制参加なんだから。他にまともなのないだろ」
「それなら文句言うなよ」
 杏里は苦笑いしながら煙草を潰した。
「次体育だろ?もう行こう」
「えーダルイ。サボっちまおーぜ」
「俺、バスケ好きだからだるくないもーん」
「透也はスポーツなら何でもだろ」
 透也に続いて杏里がしぶしぶ立ち上がった。
「でも、来週のマラソン大会は負けないからな」
「ハイハイ」
 時々杏里は、透也よりも大人になる。そんな時透也は、悔しいというよりも憧れの視線を杏里に注いでしまう。
「あ、やば、本令なった」
「杏里、駆けるぞ」
「ハイハイ」
「そのはいはいって言うのやめろよ!むかつく!」
「ハイハイ」
「杏里!」
 追いかけっこが始まった。でも、俺は杏里に追いつけない。多分俺は、杏里の後ろにできた小さな影にすぎないんだ。

「中谷、記録とるぞー」
 顧問の声に、透也は休憩していた芝生の上から腰をあげた。立春を過ぎ、少しだけ長くなった日照時間ももうすぐ終わる。夕日は半分沈み、グラウンドはその最後の光を受けていた。
 透也が杏里の方をちらりと見ると、珍しく真剣にハードルを飛んでいた。悔しいほどサマになっている。
「中谷早くしろ!」
 透也が小走りでスタート位置につき、手を上げてからバーをにらんだ。飛べるのだろうか、なんて少しも考えない。ギリ、と乾いた砂を蹴って体を前に倒し、勢いをつけて走り出す。バーを意識しないこと。バーのその先に向かうこと。そして透也は飛んだ。
 飛んでいる最中に思うことは、夕日のまぶしさと、バーに足が触れていないかという少しの不安。そして、空白の白。
 沈み込むようにマットに倒れ、頭上を見上げる。カタカタと少しだけバーは揺れ、止まった。
「記録更新~!」
 透也は空に向かって叫んだ。
「惜しいよなあ。これだけ飛べれば大会でも相当なところまでいけるのに、どうしてお前はいつも大会の前になると腹壊すんだよ」
 透也のすぐ横で、顧問が悔しそうにつぶやいた。自分の背たけほどもあるバーを、軽々と飛び越えてしまう透也に、誰もが感嘆し、ため息をつく。けれど透也はそんなことは露ほども知らない。ただ、高く高く飛ぶことだけを思っている。
「透也」
 マットから上半身を上げ、声のした方を向くと、杏里が光を背にして立っていた。透也は目を細めた。
「今日はまじめにやっているかと思っていたら、もうサボりかよ」
 ハーフパンツから伸びる、透也の細い足を見ながら、杏里は笑った。
「前から聞きたかったんだけど、透也はどうして高飛びなワケ。お前、短距離早いだろ」
「走り高跳びは、自分の力で飛んでいるって感じがするじゃん」
 そう言うと、透也はまたマットに沈み込んだ。遠くで野球部のノックの音が聞こえた。空が、高い。
「中谷、村山!休憩はそのくらいにしろ!」
 時代遅れの熱血顧問が声を張り上げた。二人は目配せし合った。
「杏里」
 杏里の差し出した手を透也がつかみ、引っ張りあげてもらうと、透也はまた目を細めた。
「夕日がまぶしい」
 不意に目の前の校舎に視線を向けると、透也の教室に人影が見えた。誰かを見つめる、蝶の影。
「透也?」
「先生まじキレそー」
 杏里の耳元にささやくと、すぐに視線をはずし、透也はまたスタート位置に向かった。その後姿を、杏里が見ていた。



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