『なんで』と呟いたあたしを、安堂くんはまっすぐに見据えていた。

その瞳はあたしから離れることなくまっすぐに、射抜いている。

泣きそうな、苦しそうな、そんな瞳。

あれ……口元、ケガしてる……?

そう瞳が判断しても、言葉が出なかった。

聞きたいことや言いたいこと、伝えたい思いはたくさんあるのに、言葉にならない。

言葉とは、時に無力で頼りない。


「あの、安堂く……」


と、訊ねようとした時、安堂くんの腕が飛びて、あたしをぎゅっと抱きしめた。


「――っ!?」

「ごめん。もう、願えない」

「え……っ!?」

「サクラダとの幸せなんて、もう願えないんだ」

「……っ」


その吐息が触れる。

首筋に熱い何かを感じる。

それはまるで、その瞳から零れる雫のようで。

あたしは空を見上げたまま、安堂くんの吐息を感じていた。


「ごめん、本当に、ごめん……」


それは、なにのごめん?

幸せを願えないとか、なんだとか、そういうごめん?

他にもっと、謝って欲しいことがある。

あたしはまだ、あの夏から、一歩も動けずにいるんだよ。

分かってるの? ねぇ……?


「――っ、やめてよっ! そういうの、いらないっ」


うそ。

本当は、死ぬほど会いたかった。

何度も夢見て、夢見ては泣いた。

手の届かない現実に、交わらなくなったあたしたちの糸に、気づかされる度、苦しかった。


「……ごめん。でも、これだけは譲りたくない」

「――ひっゃ……っ」


もう一度、その腕の捉えられる。

ギュッと、さっきより強い力で。


「安堂くん、やだっ、やめてよっ…」


じゃないともう、きっと一生忘れられなくなる。

このままずっと心の中に焼き付いて、宿って。

あたしは安堂くんの影しか追えなくなるんだよ。

振り払いたいのに、それがどんどんできなくなってる。

きゅうっと唇を噛み締めた。

抱きしめたい気持ちを堪えて、目を瞑った。


「だって……安堂くんには先生が……っ」

「終わったよ」

「……え?」

「先生とは、ちゃんと終わった。先生にちゃんと、ありがとうって伝えられたんだ」


腕から力が抜けて、気づけば安堂くんを見上げていた。

安堂くんの腕が離れて、そして向き合う。

前と同じ距離。

安堂くんの瞳。


「それは、どういう……」

「もともと、小林に見られたあの時より前に、俺らの関係は終わってたんだよ」

「え……?」

「先生の夢は、先生になること。それを分かってて、俺は先生に甘えてたんだ」

「……でも、じゃあ、なんで……」


先生はそんな顔、してなかった。

安堂くんのこと、好きだって顔、してたよ……?

それに……。


「それなら、なんでずっと先生のところに……」

「あの時のケガで記憶を失くしてたんだ。先生は、数年前の時間を過ごしてた」

「え……!?」

「やんちゃしていた時期があったって、話したよね? ……その時、しょうもない俺を叱って光の下に引きずり出してくれたのが、先生だったんだ」

「……っ」

「だから今度は、その恩返しをしたかった。小林には、本当にひどいことをしてしまったけど、向き合って終わらせないといけないと思った……」