部屋に蜘蛛がいた。
本当にちっちゃなちっちゃな蜘蛛だった。

そんな蜘蛛でも、本気で気持ちが悪かった。
だけど、私には、蜘蛛を殺す勇気がなくて、部屋から逃げ出しちゃって、それで部屋に戻れなくなって、でも戻らなくちゃいけなくて。

最初に蜘蛛を殺してればよかったのかな。
そう思いながらも部屋にいる。
そして、つい、蜘蛛を探してしまう。

蜘蛛を殺していれば、蜘蛛の幻影に惑うこともなかったのに。
でも結局、良心の呵責に苛まれるんだから、変わらないのかな。

蜘蛛って小っちゃくてバカにしがちだけど、『蜘蛛の糸』にあるように、蜘蛛でさえ、殺すということは良くないと思うんだ。
綺麗事だけど。
まあ、今更考えてももう遅い。

蜘蛛は、今日、さっき、私の部屋に入ったわけではないと思う。
昨日からいたのかもしれないし、一週間前からいたのかもしれない。
でも私は、蜘蛛の存在に気づかないうちは、全く気にせず、部屋でふと蜘蛛を探してしまうこともなかった。

当たり前だ。


そういうことはよくあることで、幸せというのは過ぎ去ってから感じるものだということだ。部屋でまどろめる幸せもそう。
口内炎になって、不自由なく食べれた昨日を思い出すのもそうだ。

あーあ。嫌だな、全部全部。
壊しちゃいたいよ……。
なんで私の部屋に蜘蛛がいるの?
なんで私なの?
なんで私は見つけちゃったの?
なんで?
なんで?

私は何にも悪くないでしょ?
誰のせいなのかな?
私じゃないよね?

ムカつく。
壊したい。

こうなると私は止められない。
私でさえ、私を止めることはできない。
止めるつもりもないけど。

私は気分の高ぶりを抑えながら、机の引き出しの奥にしまってあるナイフを取り出す。
両親には内緒で買ったもの。
安物で切れ味は悪い。

切れ味が悪いナイフのほうがいい。
安全。
拍子で切りすぎてしまうことがないから。

私はそっと、左袖をまくる。
左腕には……傷がある。
おびただしいほどの傷。
 
その傷はすべて並行で、私の性格を映し出してるのかな。
当然といえば当然。
当然と言わなくても当然。
私が切ったんだから。

全部私が、私の部屋で、私のナイフで付けた傷なんだから。

切っているときは全然痛くなくて、少しの怖ささえ感じない。
いや、痛いのかな。
よくわからない。
なんで切るのかもわからない。
痛みがほしいのかな。
生きている実感がほしいのかな。
かまってほしいのかな。
よくわからないけど、自傷行為をやめられない。

あーあ。
今日も切っちゃうんだ。
昨日も一昨日も、結局自制なんてできないんだよ。
 
欲望には打ち勝てない。



私の腕は傷ついていく。