意識が戻るとそこは病院なんかじゃなかった。アレ?普通交通事故に遭ったら誰かが通報して救急車を呼んでくれて病院のベッドに寝ているのが普通だよね?でも、私が目を覚ましたときに視界に入ったのは木製の天井だった。所々黒ずんで見えるのは古い建物なのかと思われる。それに、この身体に感じるのはベッドの感触ではない。チラッと視線を横に向けて見れば日本家屋には当たり前に存在し、私の家の中にも一室だけ存在している部屋に敷き詰められている畳だった。畳のある病院なんて聞いたことがない。寧ろ病院に畳があるなんて信じられない。まさか、自分は病院に運ばれなかったのだろうか?トラックに衝突したはずなのに軽傷と勘違いされてご近所の誰かの家の中で看病でもされているのだろうか?でも、思うように動かない身体は事故ったものの影響から腕一本動かすのもとても億劫で…ちょっと待て。
 明らかにおかしいところがある。なぜ自分は制服姿ではないのだろうか?今日初めてしっかりと袖を通したはずのブレザーの制服姿が視界に入ってこない。着物?のようなものを着ていた。少しばかりかび臭い布団を痛む腕で捲ると古風な着流しを身に付けていた。制服が汚れていたから着替えさせられたとか?でも、制服らしいものは畳張りの部屋のどこにも存在していない。病院にはあって当たり前の何かあったとき看護師や医師を呼び出すナースコールらしき物体も存在しなかった。
 肘をついてなんとか上半身を起こすと点滴一つされていない。一応怪我の手当はされているらしく腕や足のあちこちには包帯が巻かれているし、看病をされていたはずなのだがどうにもここは病院らしくない。一体ここはどこだろうかと首を傾げていると襖の開く音に反応して顔を向けていけば桶に白い布…なんとも古風な品々を手に持った人物が目を丸くして部屋の入り口に立ったまま何秒間か停止していた。
 「…あの、大丈夫ですか…?」
 怪我をしているのは自分だというのに、つい自分が心配してしまうほど視界に入ってきた人物は硬直していた。しかも、自分が声を掛けたことによってよりいっそう驚きを加えてしまったらしく手にしていた桶と白い布を部屋の入り口に置くと私の傍らにあぐらをかいて座ると自分の格好と似た着流し姿のその男性は心配そうに私の顔を覗き込むとぽんっと私の肩に片手を置き、ホッと安堵の表情をすると柔らかな笑みを浮かべてきた。
 年齢的に二十代後半ぐらいだろうか。その男性はもう少し年齢が若く化粧でも施していけば歌舞伎役者の女形でも簡単にこなしてしまいそうなほどに整った顔立ちをしている。現代では珍しい着流し姿も普段からこの格好をしているのか特に違和感などは無く、私は日本家屋に住む古風好きな男性に介抱されたのだと思った。
 場違いかもしれないが、こんなに見目麗しい男性に介抱されるなんてちょっと運が良かったと思う。ただ、制服から着流しに着替えさせられたのもこの男性だとしたらちょっと恥ずかしい気もしたが、そこは怪我の手当をおこなってくれた恩人ということで感謝すべきところだ。
 「どう見ても総司だが…まさか女だったとはな…」
 「は?」
 さっき気付くべきだったんだ。私の発した声はいつもの私のものとは明らかに異なっていたことに。私の声は普段のものよりもほんの僅かにボーイッシュなものになっていたことに。元々私は普段からショートヘアを好み、化粧をしない限りはちょっと幼い男の子の顔のようだ、などと言われることもあってからかわれたりもしていたが声がすぐにボーイッシュなものに変わるとはとても考えられない。
 そして、目の前に座る男性が口にした名前は私のものではなかった。確かに彼は「総司」と呼んだ。彼は私のことを見て口を開いたし、他に人がいるわけでもない部屋だから私を「総司」という人と間違えて呼んでいるのかと思われた。
 「どうした?いつもの減らず口はどこ行っちまったんだ?ここ数日寝込んだことで自分の性格の悪さでも直したってか?」
 そう言いながらフッと口元を緩めて笑う姿はとても様になっているものだった。ちょっと小馬鹿にされるような発言も笑う姿で帳消しになるほどに。しかし、どう聞いても彼の知り合いのようだが私の身の周り、親戚中を一通り思い返してみても彼のような美形青年を思い出すことが出来ない。知らないうちに近所の美形お兄さんと知り合いになっていたとか?いいや、それもありえないだろう。こんなに素敵な男性だったら一度顔を見て言葉を交わしていけば記憶に残るはずなのに。
 「…えーっと…失礼ですけど、どなたでしょうか…?」
 「?!」
 なるべく失礼のないように問い掛けたつもりだったが、再び目を丸くした彼は小さく口を開けてぽかんと私を見つめている。
 「…それも新たな悪ふざけの一つだって言うのか?だったら笑えねえぞ」
 そして違和感二つ目。彼の左脇には日本刀の存在があった。見た目だけじゃレプリカか本物かも分からないが私の問い掛けによって機嫌を悪くしたらしい彼は日本刀らしきものに手を伸ばすとチャキと鞘から銀光りする刀を目の前で見せつけていくと私との距離を更に詰めようとするので私は慌てて痛む身体を他所に布団から這い出るとずるずると部屋の隅に逃げようとする。
 そんな私の様子を怪訝そうに見ていた彼は抜き出しかけていた刀を鞘に納めると小さく溜め息を吐いては自分の気分を落ち着かせんばかりに深呼吸を繰り返していた。
 「…この前の討ち入りで相当傷を負ったらしいが、性格…いや、記憶まで飛ぶものなのか…?」
 討ち入り?記憶?
 確かに彼に関しての記憶は私には無い。彼は私のことを知っているようだが一方的に知られている関係なんてまるでストーカーみたいじゃないか。美形の彼にならストーカーされても良いかななどと馬鹿なことを考えていた私に罰でも下されるように彼は言葉を続けていく。
 「池田屋での討ち入り、覚えてねぇのか?」
 「池田屋?」
 何屋さん?近所に「池田屋」などと名が付くお店は確か無かったはず。ただ、その名前には聞き覚えがあった。あくまでも社会の授業の中の一つに、池田屋事件というものが存在していたはずだ。まさかその池田屋のことでも言っているのだろうか?と不思議そうに彼を見ていると彼は額に片手を当てて溜め息を吐いた。
 「山南さんが言うには頭には特に怪我なんて無かったっつー話だぜ?いつもの沖田総司はどこに行っちまったってんだ?」
 沖田総司には聞き覚えがある。日本歴史を学び、幕末好きな人であれば一回は聞いたことがあるであろう有名人物の一人だ。新選組、一番組組長の沖田。彼は病死したと新選組好きの間では有名な話の一つである。そして、「山南」という名前も新選組にはいたはずだ。
 バクバクと心臓の音がうるさい。これはまるで警報器のようだ。ここから先に進んではいけないという警報。それでも、悲しいことに知的好奇心がわく自分が酷くおかしい人物に思えてきた。
 もしかしたら新選組が大好きな人の集まり、歴史好きな人の末裔とかだったりしたらそれで終わり。だけど、もしも本当に新選組が存在している時代だとしたら…?まさに今、幕末の時代だとしたら…?私が「沖田総司」だとしたら…?これはとんでもない人生の始まりになるだろう。
 「…じ、実は寝込んでて記憶が曖昧で…ここはどこ~?的な状態なんですけど…教えてくれませんか?」
 自分でも初対面の人物に対して失礼な物言いだったと思う。だけれど、何も知らないまま勝手に何かをされても私としては困ってしまうわけで思い切って寝込んでいたことを理由に質問を投げかけてみることにした。
 「…本当に覚えてねぇのか?ここは、新選組の屯所だ。…一応お前の身体のことについてはオレと山南さん、近藤さんの耳にしか入ってねぇはずだが…他の幹部にも一度話をつけておかねぇとな…」
 「…そ、それで…お兄さんの…お名前は…?」
 失礼のないように聞いたつもりがブッと吹き出して笑う声に今度は私が目を丸くする番になってしまった。
 「……土方歳三だ。本当に覚えてねぇのか?」
 「土方歳三?!あの新選組の?!いやいや、同姓同名のそっくりさんだっていう可能性も否定出来ませんよね?!ここが幕末時代だっていうのも何かのアミューズメントパークの出し物の一つとかで…」
 「あみゅ…なんだって?なんだよ、記憶はあるんじゃねぇか。そっくりもなにもオレが土方歳三だが?」
 私が彼の名を口にし、新選組の名を口にしたことで安心したように苦笑いを浮かべてから聞き馴染みのない単語に首を傾げつつきっぱりと自分の名を告げたのだ。
 「お前は池田屋の討ち入りの際に怪我を負って今日まで寝込み続けてたんだぜ?総司。まぁ、目覚めて取り敢えずは安心した。…それと一つ良いか?」
 「な、なんでしょう…?」
 「…お前、なんで今まで自分が女だってことを隠してた…?」
 「はい…?」
 どうやらかの有名な池田屋事件において重症を負ったらしい私は新選組の沖田らしいと勘違いされているらしい。
 「沖田総司が実は女だった、なんて話今まで一度も聞いたことねぇぞ」
 どういうわけか、交通事故に遭った私は新選組の沖田総司と勘違いされているらしい。ここで否定しても無駄だろう。土方と名乗った青年はまっすぐに私の顔を見て「総司」と呼んでいるし、交通事故に遭ったといっても納得してもらえないだろう。