重たい瞼を、もう一度開ける。


明るいハニーブラウンの髪色、愛嬌のある猫目・・・しかし心配そうにハの字に歪んだ眉。


彼は隣のクラスの・・・廊下ですれ違うくらいしか接点はなかったような・・・でも、とても元気な人という印象が頭に残っている・・・。
目を開けて、白い天井を見ながら、そんなことをぼんやりと思い出した。起きてこんなに冷静なのも、周囲が見慣れた白に埋め尽くされて、薬品の匂いが漂っているからだろう。

・・・きっと、私が青い顔をしていたから、驚いて駆け寄ってきてくれた・・・優しい人。


ありがたいなぁ、なんて考えながら未だ気怠い身体を持ち上げると、白い布団がハラリと肩から落ちて、白いベッドがギッと音を立てた。


「・・・立川さん?」


聞こえた声に、私は目を見開いた。
仕切りのカーテンの向こうから・・・意識を失う前と同じ声が聞こえた。
私はまた、ギシッと音を立ててベッドを降りた。足元に置かれていた簡易スリッパを履いて、仕切りのカーテンをゆっくり開ける。


「っ、よかったぁぁ・・・!!立川さん大丈夫?!生きてる?!!」
「・・・うん、生きてる、大丈夫」

私が喋ったことで少しだけ安心したような顔を見せたけれど、またすぐに心配そうな目を向けてくる。

「倒れたときにどっか怪我してない・・・?」
「うん・・・ない、かと」
「マジで?ちょっと・・・てか、かなり信じがたいけど」
「・・・任せて」
「あはは、すっげ不安」

立ち上がった私の肩を押して、もう一度ベッドへ座らせ、目線を合わせるように屈んだその人。
あまりに顔が近くて、こく、と一つ頷くしかできなかったけど、怪我は無いという意味を込めてしっかり頷いてみれば、またホッとした顔を見せた。

「立川さんはよく倒れるって聞いてはいたけど・・・マジでビビるわ・・・」
「そんな風に、有名なの・・・?」
「お、おう。え、知らなかった?」
「うん」

苦笑いを浮かべる相手に、なんとも言えない顔を向ける。
目立ちたがりでもないし、まして「よく倒れる」というレッテルで有名になっても、嬉しくないような・・・うん、嬉しくない。

「ご心配を、お掛けしました・・・」
「あ、いえいえ・・・」

パチリと瞬きした相手の後ろから、保険医の先生がひょっこりと顔を出す。しまった・・・今日は居たのか・・・。


「よ、貧血常習犯。今日は朝飯食ってきたかー」
「う、たっ、たべてない・・・」
「食べろっつってんだろバカが」
「いだぅっ・・・!!」

ゴツン、と頭にゲンコツを貰って、頭を押さえながら自然と唸る。

保険医の先生は容赦がない。1年の始めの頃は「貧血?大丈夫か?しばらく横になってなさい」と心配してくれていたのに、何度も繰り返しているうちに今じゃこんなに粗雑な扱いに・・・。


「うはははっ!何?立川さんて、朝飯抜いたら貧血で倒れんの?」
「や、朝ごはん・・・抜いたくらいじゃ、ここまでは・・・」

生々しい話だけれど、今日は、二日目だし。
そういった女の子特有のものが関係しているので、言うか言うまいか悩む。そして、悩んだ末に、するりとお腹の辺りをを撫でてみる。
その行動に、保険医は気付いているだろうけど特に反応もなく、その人はキョトンと目を丸くした。

すぐには意味が伝わらなかったらしく、首を傾げて・・・そして、じわりじわりと顔を赤くしていく。


「あ・・・うん、ハイ、分かりました」
「反応が気持ち悪りぃな、思春期かよ」
「はぁ?!思春期なんですけどぉ?!」


わーぎゃー言い始めた二人の話を聞き流しながら、保険医が渡してきた入室記入書を膝に乗せた。保健室には何度もくるので、もう書くことはお手の物だけど・・・一つの記入欄へたどり着いたとき、私の手はビタッと空中に張り付いたように止まった。

・・・「付き添い有無」に、名前の記入欄がある。


「あの・・・ここ」
「へっ?」


騒がしくしていたその人が止まって、あぁ、と納得すると、私の手から記入書とペンを受け取った。
サラサラと書いていたペンはすぐに止まって、それから私をチラリと見る。
・・・何?と首を傾げていると、それらをまとめて返された。


「はいどーぞ」


案の定、そこに書かれている名前。
しかし、その文字を見た途端に、私の頭の中にハテナが浮かぶ。読めない訳じゃなく、むしろ読めるからこそ疑問に思ってしまった。

・・・もしかして、からかわれているのだろうか。

そして考えた挙句、目の前のニコニコ笑うその人を見上げて・・・呼んでみる。



「・・・ひ、ひまわりさん?」



保険医は噴き出して、そのひまわりさんはやっぱりか・・・と笑った。
その反応に、この読みは違うのだと、私はもう一度その紙に書かれた名前を見つめる。


・・・向日葵。



「俺の名前ね?むかひあおいって読むんだよねー」


むかひあおい。
親も絶対にこれ狙って付けたよなー、なんて笑いながら、紙に書かれた名前を撫でるように指でなぞった。


「さて、立川も元気になったし、ひまわりちゃんはアルペットの補充に行ってこい」
「・・・ひまわりちゃんって言うなよ」

また言い合いを始めた2人を見ながら、私はもそもそと帰る準備を整える。

むかひあおい・・・ひまわり・・・素敵な名前だと、思った。


「ありがと・・・」
「ん?・・・んっ!でもお願いだから、もうあんな倒れ方は・・・」


困ったように笑うその人を、私はジッと見つめる。そんな私に気付いても、何?と照れたようににこにこ笑っている。

・・・この人、ずっと笑ってる。


「・・・ありがと、ひまわりさん」
「っ、なっ?!!」


やっぱり、ひまわりさんと呼ばれることはあまり好きではないらしい。イタズラが成功して嬉しくなった私は、自然ゆるりと口の端が上がる。



「っ・・・!」



少し楽しい気持ちで、保健室のドアから、室内へ一礼する。

「お世話になりました・・・またお願いします」
「おー。まず朝飯は食えよー」
「・・・努力、します」

保健室のドアを閉めながら、ヒラヒラと手を振る保険医にヒラヒラ手を振り返して、流れでひまわりさんにも手を振った。
でも、ひまわりさんはどこかぼーっと宙を見て、手を振り返してはくれなかった。


ひまわり、というよりも・・・いつでもニコニコ笑ってて、太陽みたいな人だったと、あの笑顔を思い出しながら考えながら生徒玄関へ続く道を歩いた。