ゆうきをもって向かい合おう!


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目の前にあるモノは何か?
平和を享受していた万人はそう問われて従うがままにそのモノを見たら、まず目を背けるだろう。そしてさらに周りを見渡し、そのモノで溢れた世界に恐怖感を抱き絶望を己が胸の中に生じる。吐瀉物をぶちまけることすら有り得るだろう。

だがそれは人間として恥ずべき行為ではない。むしろ今までの生活で道を踏み外さず、清廉潔白に…とまでは行かなくともそれなりに純粋に生けてきたからそのようになってしまうのだ。そこに僅かな失望感は有れど、嫌悪感などはまっさらない。好意すら持てる生き方だ。

だけどそうして生きてこれたのは全てこの日本という安全性の高い国家に守られてきたからであって、他の国では紛争は内戦などでそんな惨状が繰り広げられるのも珍しくない。事実、僕達はそれをテレビや新聞、ネットで間接的に知り得ている。しかしそこに経験的感想は当然なく、ただ「こんな事が世界で起きるのか」などと知ったふうな口を宣って他の情報に目を移すのか僕達の日常だった。

そもそもなぜそのような事が日本では起きてなかったのか。それは考えれば簡単で、他の国とは違い他人を害すことが出来る凶器に対する所持の許可が厳しいからである。銃刀法だって刃渡り15センチメートル以下の刃物ならなんでも持ち歩けると言う訳ではない。スーパーで包丁を買ったなどなら良いが、例えば真昼間に鋏を持った人間が歩いてたとして、それを警官が目撃したら何も言わず見送るだろうか?ほら、あり得ない。


そんな訳で僕達の住む環境というのは危険を取り除いた平和ではない。危険から逃げた平和だ。危険を取り除いているならば中国からトカレフ(拳銃)も流れはしないし暴力団だって幾ら利用価値が有るとしても国に残しはしてない。危険から逃げるというのはつまり、取り除くのとは違い外部からの悪意などによっては追い詰められて袋叩きにされてしまうことだってあるということだ。その時、本当に命に関する危機に立ち向かったことのある人間が少ないないこの日本の国民は、再び逃げるか、或いは戦うかを選択するので手一杯になってしまうだろう。

補足しとくと別に僕は逃げるのを悪く言っているわけではない。逃げることだって時には重要だ。だけどいつまでも逃げ続けるのでは何も進展せず、何もなし得ることが出来ない。


掌に力が入れる。長い時間握りしめているからか、いつの間にか手が汗ばんできている。
僕は壁を背後にしながらそっと曲がり角から廊下の先を覗く。こんなことスパイごっこくらいでしかやったことがなかったけど、今ならこの体制の便利さが身にしみてわかる。これならば背後を注意する必要がないため、気がついたらバックアタックされて昇天、なんて笑えない事態も避けられるからだ。

覗いた先には一人の男子生徒がいた。
ただし制服はボロボロ、腕は変な方向に曲がって垂らしたままフラフラとした千鳥足で歩き回り、口元にはベチャベチャとした血が満面なく引っ付いてるという注釈は付くが。

そしてその先の教室、そこに僕の大事な物の入ったスクールバックがあるはずだ。しかし取りに行くためにはやはりこの廊下を使う必要性がある。一階には更に多くの"奴ら"が徘徊しており、迂回して階段を使って反対方向から教室へ行く、何てことも出来ない。
そして一番大きいのは、この僕が今いる2階も安全地帯にしてしまいたいという理由だ。今他の仲間も各々この階の思った場所で戦っていると思う。

そんな中、僕だけが何もせずにのうのうと帰るなんてそれは間違っている。既にこの世界での生きる術は今までの暮らし方と180度回転していて、そしてこの生き方に慣れない人間は死んでいくか"奴ら"に変わるだけだ。この術を学ぶことを拒否する人間はすぐに人間を辞めることになる、それがこのクソッタレの世界での唯一の理みたいなものだから。


僕は予めポケットに入れておいた小銭を廊下の向こう側に投げる。案の定、小銭が床にぶつかる音がほぼ無音の空間に響き渡り、奴もそちらへと足を向ける。だがその時の歩調は完全にさきほどよフラフラとした様子はなく、心をの通った歩き方をしている。まあこいつらは本気を出すと陸上選手も真っ青なタイムで獲物へと走っていくから、当たり前といえば当たり前だろう。

僕は手に握っているものーーーバットを再び強く握って、上段に構えながら足音を立てずに奴の背後へと近づく。近寄れば寄るほど人間の声を思い切り低くした獣のような唸り声が耳に入ってきて僕の緊張感を煽る。
そして、僕はバットの攻撃範囲圏内に入った瞬間、右足を踏み込み僕の体重を全て乗せて思い切り奴の脳天へと振り下ろす。

束の間の思考停止。

気づくと鈍い打撃音と共に奴は倒れていた。頭からは血がドロドロと流れ出しているがそこまで罪悪感は湧かない。いや湧く感情すら持てないと言ったほうが正しいだろうか?


ガラスが砕けて廊下に落ちている窓から外を見れば、フラフラと動く人間の形をした奴等が未だたくさん蔓延っている。こいつらのせいで僕たちはこの高校から確実に脱出する手段を長い間探しているのだ。そう考えたら石でも投げたくなるが、そんなことをしてしまえば僕らが校内にいるのがバレて校内全域がとびきりの危険地帯と化してしまうだろう。
そう思い直して奴の消えた廊下を静かに歩く。


そう、日本は、それどころか世界はこの半月で大きく変わってしまった。奴等…仮に俗称をつけるならばゾンビだろう、それによってだ。

今まで一緒に授業を受けた友達も、何でもない会話を面白く語り合った親友も、全てがこの変化した世界に合わせて変貌してしまった。それに取り残された一人が僕だ。

果たして変化した方が楽だったのか、取り残された方が苦しいのか。だがこんな疑問を呈しても全くの無駄だろうとは思う。
今ある状態が一番素晴らしい。そう感じるのが人間の感性というものだ。


だから、こんな壊れた世界でも僕たちは背筋を伸ばして死んだ仲間の分までちゃんと生きていかなければならないのだ。