迷い込んだ。
出口も、これから進むべき道すら見えない真っ暗な迷路の中に。



「つかれた…」



こぼした言葉を拾ってくれる人もいない孤独な雑踏の中で、私はそんなことを考えていた。
上京してきて3ヶ月。
こうして、疲れ切ったサラリーマン達の集合体と帰路を共にするようになってからも、3ヶ月。
ごとん、がたん、と音を立てて前に進んでいくこの箱の中で、音と一緒に揺れる四角い風景には、太陽の面影すらない。
けれどこちゃこちゃとした光が、夜に染まり切るのを邪魔しているかのようだ。


ー不快だ。
ガタガタと揺れる感覚も、音も、周りのサラリーマン達のいかにも「疲れています」といったよどんだ表情も、そしてそれと何ら変わらない、向かいの窓に映った自分の表情も。



眠りこけた隣のサラリーマンが私の肩にもたれかかりそうになったちょうどその時、アナウンスが私の降車駅の名を告げた。
今日は運が良かった。
ただでさえ不快指数が限界値を越えそうだったのにその上、1日の尊い労働の対価としての脂にまみれた立派なサラリーマンの頭をこすりつけられたのでは、すぐにでも新幹線に飛び乗り実家へ帰るところだ。


最後の最後で踏みとどまることが出来たのだから今日は良い日だったと、自分に言い聞かせながら私は慣れた素振りで駅を抜け自宅へと歩き出す。
それほど大きな駅ではないのに、駅から自宅までの道のりは一人ではなく、いつも誰かしらが歩いている。
その多くが、先ほどまで同じ電車に乗っていたサラリーマン達と同じ表情をしていて、いや、もしかしたら同一人物なのかもしれない。
だってみんなそれほどに、同じ表情をしている。
この雑踏の中では、個人は他人にとって個人ではない。
私にとって彼らはら無個性、無価値、無意味な他人という名の動く障害物だ。
もちろん、彼らにとって私がそうであるのと同じように。
それでも彼らには、待っている家族がいるのかもしれない。
いま彼らの心は、ほんの数分後に訪れる癒しに躍っているかもしれない。
そうだとしたら本当に憐れなのは、私一人だけ。



「ああもう、疲れた」



…東京(ここ)には、人が溢れている。
こぼれた言葉を拾ってくれるわけじゃない、他人が。