その日はきっと、我が家では珍しい呼び鈴がなったのだろう。クーラーで冷えたリビングから廊下に繋がるその扉を開けると、むわっとした暑く重い空気が入り込んできたに違いない。


はぁーい、と声を出して短い髪を一つでまとめたお母さんに、私はパタパタと音を立てながらついて行った。


ひどい人見知りのため、自分から玄関の扉を開けることはしなかった。


「はいはーい。…あら!」

「こんにちは、瀬川さん。」


いくらマンションといえども、玄関の扉を開けると急に夏の声がひどく聞こえるようになった。

思わずくらりと目眩がしてしまいそうだった。


「暑い中どうしたの?…あら、彼方君まで。」


「こんにちは。」


「こんにちは。…まあ、彼方君すごく素敵なお花を持ってるのね。」


「ふふっ。それがね、彼方が“今日は史波ちゃんのお誕生日だからお花買って”って聞かなくて。」


「ええ?史波のために?」


わたし?と思いながら、ふっとリビングの方に目をやる。

そこにはまだ食べかけのバースデーケーキがちょこんとお皿の上に残っていた。



確かに、わたしの誕生日だった。


どうやら目の前の男の子は、わたしのためにわざわざ暑い中お花を買ってきてくれたらしい。



その子は“彼方”と言った。


“彼方”君が抱えていたお花は、その小さな体のせいか100本くらいあるんじゃないかと思うくらい、たくさんに見えた。


「ほら史波。ありがとうは?」


「彼方も。お誕生日おめでとうっていうんでしょ?」


うん、って小さく頷いた“彼方”君は、少しはにかみながら、でもとても嬉しそうにわたしにこう言った。


「…おたんじょーびおめでと。…しなみちゃん。」


はいっ、って渡されたお花。正直それがどんなお花だったかは今では覚えていない。


でもわたしは確かに、照れながらこう返した。


「ありがとう、かなたくん。…うれしい。」


暑い夏の日だった。少しの汗をかきながら弾けるような笑顔を見せた“彼方”君は、雲の隙間から見える日差しに隠されて顔が見えなかった。




ーーーーー瀬川史波。5回目の誕生日のことだった。