渇きを潤すか、水神よ。

その荒みきった砂漠(ハダ)に雨を降らせるか。
そのザラついた渓谷(ノド)に川を流すか。
その醜く熱狂する太陽(タマシイ)を海に浸すか。

渇きたいのか、水神よ。

オマエの声は音となる前に掠れて消える。陽光に焼かれ、虚しく蒸発して消える。
潤さねば、誰もがオマエを無視し、やがてオマエを見殺しにするだろう。

そうだ、潤せ、水神よ。

キサマは欲望に忠実であればいい。渇望しろ。飢える前に。焼き尽くされる前に。
キサマに必要なのは『枯渇』ではなく『潤麗』であろうに。

剥奪しろ、水神よ。

『水』を司り、統べるが故に自らを潤せ。強欲だと蔑まれようが傲慢だと貶められようが、他には渇きを与え続け、オレのみに潤いを与えるがいい。

奪え。潤せ。渇かせ。
そうだろう。
水神であるオレは“貯蓄”の水瓶ではなく────“搾取”の捕食者なのだから。