高校卒業後すぐキャバクラ店に就職してから二年が経過し、司は大きな決断を胸に若宮家の前に立つ。夜八時を回っており、マナを含め家族全員が揃っていることを確認しての訪問となる。門をくぐりチャイムを鳴らすと愛美と美紀子が出迎える。
「おかえりバツ、みんな楽しみに待ってたんだよ!」
「ただいまマナ。ただいま、お母さん」
 高校三年生の冬、若宮家で引き取られてから、邦夫と美紀子は司を本当の娘のように扱う。卒業したその日には、本格的な養子縁組を提案され涙ながらに断ったこともあった。その日より司は邦夫と美紀子を『お父さん・お母さん』と呼び、本当の両親として接していた。
 ソファに座ると隣には愛美が、正面には両親が座る。二人は久しぶりに見る娘の姿にニコニコする。仕事の話や健康の話を一通りした後、司は本題を切り出す。
「実は今日、お父さんにお願いがあって帰ってきました」
「お願い?」
「はい、会社の寮を出てマンションを買おうと思っています。頭金はだいぶ用意していますが、少し足りない部分はローンを組むつもりです。そこでその保証人になって貰いたくてお願いに来ました」
 マンション購入という驚きの発言に愛美も美紀子もびっくりしている。
「バツ、本気で言ってる?」
「本気」
「ちなみに、幾らのマンション?」
「五千万円。頭金は三千万」
「二年ちょっとでよく貯めたね? しかも家への恩返し仕送りを月に十万してるでしょ。無茶苦茶稼いでるじゃん」
「司ちゃんには恩返し仕送りなんて止めてっていつも言ってるのに聞かないのよ? マナちゃんからも言って」
「無理無理、バツ昔から頑固だから」
 お手上げ状態をジェスチャーしていると、黙っていた邦夫が口を開く。
「つまり司ちゃんは二千万円のローンを組みたいわけだな。保証人には引き受ける。ただし、条件がある」
「はい」
「今まで私達に送った仕送りの総額約五百万を頭金に上乗せし、今後は家に仕送りをしない。守れるか」
「でも、それじゃ私の気が済みません。お父さんとお母さんに恩返しがしたい!」
「その恩返しという考え方を捨てなさい。私達は親子なんだから、愛美ちゃんや司ちゃんの幸せが一番の恩返しだ。今日のように頼ってくれることも恩返しと言える。司ちゃんは頑張り過ぎだ。もっと楽に考えて、私達ではなく自分自身の幸せにちゃんと向かい合いなさい」
 邦夫の優しい言葉を受けて司は泣きそうになる。若宮家に来てから初めて受ける親の温かみや思いやりに触れ、司の涙腺は緩みっぱなしだ。
「ありがとう、お父さん。言葉に甘えます……」
 目を擦りながら頭を下げる司を見て、愛美と美紀子は顔を見合わせ笑顔になる。

 互いの近況報告やマンション購入についてのアドバイスを受け、結局若宮家に泊まることになった。久しぶりに入る自室だが、美紀子がちゃんと管理してくれており綺麗なままで残っている。幸せな気持ちでベッドに座っていると、愛美が部屋の扉をノックしつつ入ってくる。
「入っていい?」
「入ってからそれ聞く?」
「ダメなら出てく」
「ダメな訳ないでしょ? 早くドア閉めて」
 扉を閉めると愛美はすぐ隣に座る。
「久しぶりの自分の部屋はどう?」
「凄く落ち着く。玄関くぐったときから落ち着いてるけどね」
「よかった。ここはもうバツの家でもあるんだから、遠慮しちゃダメだよ?」
「ええ、ありがとう」
 司の微笑みに愛美も微笑む。
「ところで、突然のマンション購入発言にはホントびっくりしたよ。またお得意の自立思想から来てる?」
「まあね。早く寮を出たかったのもあるけど。中途半端な賃貸にするくらいなら、持ち家の方が良いかなって思ってね」
「二十歳のキャバ嬢が持ち家って、凄すぎ。流石バツって感じ」
「私のことはさっき散々話したからもういいでしょ? マナの方こそ大学生活はどうなのよ?」
「普通」
「メールでもそう書いてたけど、具体的に何かないの? サークル活動とか飲み会とか」
「ない。無趣味だもん」
「もしかして、大学生活つまらない?」
「うん、頭にキノコ生えそうなくらいにね」
 そういうと愛美は頭に手を添え角を作って見せる。
「ユウとはどうなの?」
「仲良いよ。週一でデートしてるし」
「いいじゃない。青春してるって感じで」
「でも、正直微妙」
「何が?」
「私がいけないんだろうけど、ドキドキしないんだよね。会っても仲の良い親友って感じでさ。一緒に居て落ち着くし嫌いじゃないけど、何か違うなって思う。キスしたり抱かれててもよくそう思うし」
 赤裸々に語る愛美の話をイメージし司は少し照れる。
「ユウの方はどう言ってるの?」
「ユウも多分同じ気持ちだと思う。付き合い始めた頃は別として、今は落ち着いてるし、そんなに求めて来ない。私自身も身体の繋がりを重要視してないしね。大事にはされてるけど恋人というカテゴリから考えると、私達の関係はそこじゃないと思う」
 愛美の告白を受けて司は戸惑う。ずっと仲良くしていたものと思っていたため複雑な気持ちになる。
「じゃあもう別れるつもり?」
「別れるというか、もう別れてるのかも。恋人じゃなく親友というか、その中間かな? もしユウから他に付き合いたい女がいるって言われたら祝福するだろうし、逆に私に好きな人が出来たら別れてって言うと思う」
「知らない間に随分とドライな関係になったのね」
「まあね、でも最初に付き合うと決めたときから、私は長続きしないと思ってたよ。付き合う流れが強引だったし、ユウも……」
 愛美は言葉に詰まりハッとするも、司はその変化を見逃さない。
「ユウが何?」
「なんでもない」
「私達は親友です。はい、どうぞ」
 愛美も司同様に親友という言葉には弱く、司からの催促に溜め息をつく。
「ああ、失言だったわ。ユウはね、高校のときからバツが好きだったの。知ってた?」
「うん、遠回しにだけど気になってるみたいな程度には言われたことがあった。でも異性としてはマナが好きって言ってたから、全然気にもしてなかったわ」
「そう言ってたか。う~ん……」
「隠し事?」
「悩み事」
「一緒よ。言って」
「はっきり言うけどそれは嘘。異性として、なんて口にしてる時点で異性として意識してるってことの裏返しだもの。そっか、ユウの心の中に居る人が誰だかはっきりした」
 遠回しに自分のことを指摘されており、何て答えて良いか返答に困る。黙り込んでいると愛美がとんでもないことを口走る。
「私、ユウと正式に別れるから、ユウと付き合ってみる?」
「いやいや、ユウは私にとっても親友だから、有り得ないって」
「タイプじゃない?」
「タイプうんぬんの話じゃなくて、これから先の親友関係が問題」
「私、二人が付き合っても嫉妬しないよ? 何か問題ある?」
「ユウの考えとかも聞かないと判断できない」
「じゃあ、私とユウが共に賛成ならバツはユウと付き合う?」
「分からない。ユウをそんなふうに見たことないから。っていうか、なんで話が私の恋愛話にすり変わるかな? 職業柄恋人作ってる場合じゃないからね?」
 司は焦りながら答え、愛美はその姿をニヤニヤしながら見ている。このあと、愛美はわざと祐輔に電話をし司に無理矢理代わらせ、その反応を見てさらに楽しんでいた。