幼い頃の記憶って、大体は曖昧で、どうでもいいことばかり覚えてる気がする。

通ってた幼稚園にボロいブランコがあったとか、小学校の友達の弁当が超豪華だったとか。


そういう、何の特にもならないことばかりが頭に残ってて、お世話になった先生とか、仲良くしてくれた友達とかは、意外に思い出せなかったりする。

例えば、同窓会の幹事をしろって言われたら。
大体を覚えてなくて途中で投げ出すんだろうな。


幼い頃の記憶って、そういうものでしょう。

はっきりと思い出せないからこそ、儚くて、それは美化されたものになる。

曖昧な情報を語れるって、幸せだよね。

私にも沢山の、曖昧な思い出があるけれど、



ひとつだけ、はっきりと覚えていることがある。



それは、5歳の誕生日。

「朋香」
私の名前を呼ぶのは、今よりもうんと若いお父さん。

その日は通いの家政婦の小島さんが休みで、

珍しく、というか初めて、

お父さんがキッチンに立った日。

お父さんって、料理できるの?
お父さん、お怪我しないかな。

子供ながらに、心配した。

「出来たぞ」
当時好きだったキャラクターのお皿に入ったそれは、最初なにか分からなくて。

「小島さんの白バージョンだ」
そう言われて、ハッとした。

小島さんがいつも作ってくれるのは、回りがもっと鮮やかな赤色だけど。

お父さんが作ってくれたそれは、透き通るような色をしていて、私の食欲をそそった。


「朋香、誕生日おめでとう」

お父さんと一緒に食べたロールキャベツの味を、今でもしっかりと覚えている。

そのときのお父さんの笑顔も、忘れたことはない。


この“明確な記憶”は私にとって特別であり、



最悪なものだったから。