感想ノート
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紅 憐 2009/01/13 02:23
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グリ子、、、狙わなかったのか、、、(*´ー`)
もともと幼児向けじゃないのかな?やけど 2009/01/13 02:13
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そんな感じだったのか、、
何やら難しく考え過ぎていたようで(*´ー`)
指揮者によって演奏の仕方が違うようなものですね、ん?違うか?w
まぁ僕には、書き方とか、着眼点とかよくわからないのでこれからも特に意識することはないでしょうw
てかパズルボブル懐かしいですね、昔はまってましたよー!やけど 2009/01/13 02:11
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へぇー←(ボタン連打)
説明しましょう、『ば行』や『ぱ行』など唇を震わせて出す音を幼児は好みます。だから用事向けの玩具やおかしにその文字が使われているのは、会社側の狙いなのです(笑)
代表例『パPコ』紅 憐 2009/01/13 02:09
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ぐりばぶるん〉
なにやら難しいことを考えておるような…
まあ、M-1でも見て気楽に…
←さっさと続き書けや
バブルボブル
怪獣に姿を変えられた兄弟、バブルンとボブルンが人間に戻るために怪物と戦う。パズルボブル、バブルンシンフォニーなどの続編も出た。疾風雷神 2009/01/13 02:05
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やけどさん
はい、プロフのキャッチが変わりました。語ってるのですよ。
やけどさんは理数系でらっしゃるようですが(笑)
渚さんがいらっしゃったらきっと理数系の談義がこう、怒濤の勢いで!
純文学とかエンターテイメントとか、ほんとはそんな区切りなんてないんですよ。やけどさんが言う通り、「え、違い?よくわかんない」みたいな、それで正解だと思います。
ただ、文章の重点の置き方やら、ストーリーでも着眼点やら、設定やらが「あ、これは〇〇寄りだから純文学だ(エンターテイメントだ)!」みたいなノリなんですよね。そういうのをビビッと感じ取る人は、この差に敏感でしょうし。
同じアニメでも、普通にテレビ放送されてるのなんかなら普通、DVD化されてる分まで見るとオタク、なんて見られるような『意識レベル』の差みたいなのですよ。一種の偏見かもしれないし、どっちがいいとか悪いとかないから、どっちも小説
でも時々いろんなひとが意見をやり取りするんですよね、これは。紅 憐 2009/01/13 01:48
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紅さんのプロフのキャッチが変わってるーと思ってきたら、語ってますねぇ(*´ー`)
イイデスヨイイデスヨー
ちなみに僕は純文学とか、そうじゃないとかよくわかりません、文系専攻じゃないのでさっぱりですアハハ、やけど 2009/01/13 01:40
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私ばぼちゃんみたく丸くないもん!!
っていうか、ぱちゃぽっていうんですか、あれ!
火と水と草をイメージした三びき(びき?)のキャラがいましたよねぇ。なんだっけ、あれ←紅 憐 2009/01/13 01:23
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あるんですよね、世の中には結構。私がなにも最初に言い出してるわけじゃないでしょうし、むしろ、どんな作家さんもそれが一番かもとか、そんなことを考えてる……当たり前なことなんじゃ?みたいな想いはありますよ。
だけどそれを頭と胸と心の中にザク、と剣で突き立てて、意識していくのは違うです。あ、プロフのあれも変えなきゃいけません。急なことだけれど変えましょう。
純文学とエンターテイメントの交配……うーん、いまいち気に入んない。
純文学とエンターテイメントの集約。
や、違う。
純文学とエンターテイメントの融合……うん、これにしましょう。これを目指します。
もちろん私が一番じゃないし、今までそんな人はたくさんいるでしょうし、今さら?みたいなことでしょうが、今後はこれで。
ただ、純文学好きな人からしたら「半端なエンターテイメント」だろうし、エンターテイメント好きな人からは「なんか変なとこややこしい」みたく言われますか。言わせませんよっと意気込んでおくのです。
あ、でも「エンターテイメントは大衆のために」っていう理念は捨てがたいんですよね。
さてどうしましょう。
合体させましょう。がちゃん。という具合に出来上がりました、「大衆のために純文学とエンターテイメントの融合を目指す」。長いけれど、それだけの遣り甲斐はありそうですよね。
っていうか真面目に語りたい←って発言はどしたの私。いつでもいつでもずれてく(苦笑)紅 憐 2009/01/13 01:22
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ぐりばぼちゃん〉
しかし、なんだかんだであと二人は死ぬ予定…
我ながら酷い話書いてるよな…
バボちゃん
バレーボール・ワールドカップのマスコット。ちなみにパチャポは世界水泳のマスコットだ。疾風雷神 2009/01/13 01:17
ぐり子は……どう、なんでしょうね?(笑)
でもあの表の印刷……あの日本代表みたいなランニングユニフォーム……あれを見たら用事向けには見えませんっ←
そんなものだと思いますよ。同じ曲でも指揮者によって変わる。同じように、同じ登場人物や世界背景でも、作者によってどの部分を描写してくか、力を入れるかで変わってく。ストーリーはもちろん、それの方向性も。
ちなみに今、この違いを楽しんでるのが、私達がやってる『ねも×のた企画』ですよ。
同じ世界観から違うストーリーができる。もとは一緒なのにみぃんな違う。そんなもので、純文学もエンターテイメントも、物語で、小説なんですよ。そうでないものは学術書や参考書、ネタ帳みたいなものです。
みぃんな『物語』なんですね。
で、私は、この物語をエンターテイメントで、純文学でと書いてこうと思ったんですよ。
どっちもそんなに変わんない、ねもとは一緒。だけど明らかに違う。のに、境界線は曖昧。それを意識して融合させよう!という、作家としての意気込みですっちゃ。←