そのことに胸をじんわり熱くしていると、琴音はリビングに戻り、執事たちに大量のテキストを持ってこさせた。

「聞いていた通り、言葉は通じるようなのですが、読み書きは別だそうですね。天神学園は学力にはさほど拘らない学校ですが、読み書きくらいは出来ないと授業についていけないと思いますので、入学式までにお勉強をいたしましょう」

「ええええ!」

 部屋を探検して歩いていたシンが悲鳴を上げる。

「お二人のご両親も通った道でございます。私たちも力になりますから、頑張りましょう!」

 琴音の声に、メイドたちもガッツポーズを作り、「共に頑張りましょう!」と声を上げた。


 こうして天神学園中等部入学式までの約半年間、双子は橘邸の人々に読み書きを教わりながら生活のリズムを作っていくのであった。









『成長(シン視点)』





 天神学園中等部に入学してから少し。

 早朝に起きだして、リィと一緒に基礎トレーニングやって、橘邸の庭の外周およそ10キロを全速力で走って、無手での組手をして、ご飯を食べて、学校行って、家に帰ったら武器を構えながら走って、組手をして、ご飯食べて、宿題やって、父さんたちに手紙書いて、風呂に入って、寝る。

 ミルトゥワから地球へ留学してきて約半年。俺たちの一日のスケジュールは、大体こんな感じに固定されてきた。

 天神学園で出会った友人たちを見ていると、まだまだこんな修行方法では駄目なような気がするけれど、父さんには基本が大事って言われているし、今は反復練習をしているところ。

 取り敢えず今の目標は、この間対戦した高等部の双子と、にゃんにゃん先生んとこの兄妹に勝つことだ。

 入学式の日、ローズマリー陛下に言われた通り、強いヤツに勝負をふっかけてみたんだ。

 ちょっとは自信があった。俺より強いのなんて、師匠たちくらいしかいないと思ってた。でも、勝てなかった。自分の鼻をへし折られた気分だ。

 天神学園で最強と言われる剣豪、高等部一年の夕城瑠璃(ゆうしろるり)と夕城めのう。それから、中学二年にいる弟、夕城孔雀(ゆうしろくじゃく)の三兄弟。父さんが勝てなかった“侍”、閻魔先生と女神先生の子どもたちだけあって、まったく隙がなかった。

 そして、父さんの母さん、つまり俺のばあちゃんにそっくりだという、にゃんにゃん先生のところのガンマン、中等部二年の早川霸龍闘(はやかわはると)に、妹で俺のクラスメイトでもある拳法家、早川鬼龍(はやかわかいらん)。

 悔しいけど、アイツらには勝てる気がしない。でも強いヤツと戦えるのは楽しい。わくわくする。次はどう仕掛けてやろうかな、ふふふふーん。

 ……なんてニヤけていたら、クラスメイトの鬼龍に「お前はどこぞの戦闘民族か」って突っ込まれた。

 色んな星を旅してきたけれど、そんな民族に会ったことはない。詳しく話を聞いてみたら、戦闘時に気合入れると黒い髪が金髪に逆立つんだとか。なにそれ、カッコイイ!

 俺も修行したらそんな風にならないかな! って大興奮したら、その戦闘民族の武勇伝を認めた漫画を、瑠璃に貸してもらえることになった。読むのが楽しみだ! 

 でも俺、まだ日本語全部読めないんだよなー。喋るのは星の力が自動翻訳してくれるから大丈夫なんだけど、さすがに読み書きは別らしい。半年も頑張ってるんだけどな。なかなか覚えられない。

 今日も家に帰ってから、琴音が用意してくれた小学生の教科書で文字の勉強をした。

 リィは絵でも描いているみたいに楽しそうに──無表情だけど鼻歌歌いながら書いてた──文字をスラスラノートに書き写していて、もう平仮名もカタカナも全制覇してしまっていた。漢字もポツポツ覚えた。なんでそんなに覚えるの早いの? って訊いたら、形がかわいくて面白いから頭に入りやすい、だって。なんだそりゃ!

 おまけに、魔法陣見たときも目がキラキラしてたけど、数式とか図形とか見たときもキラキラしていた。

 ぽやーっとした顔で、嬉しそうに頬を染めて数字を書き連ねていく姿は、俺には理解出来ない。

 何が楽しいのって訊いたら、逆に不思議そうな顔をされた。

 どうやら魔法陣を描くときの術式に通じるものがあるらしい。……召喚するときのリィの頭の中はこんなわけわからん数字と図形でいっぱいなのか。うう、理解出来ない。

 ミルトゥワの精霊女王召喚は、『ユグドラシェル』の血そのものに召喚魔法陣が組み込まれているから出来るのではないか──なんてことを従兄のルドルフは言っていた。

 だから俺が召喚出来るのは血のおかげだ。術式を理解していなくても、一応は出来るけれども……リィを見ていると、俺もちゃんと覚えたほうがいいのかなぁ、と思う。覚えられるかどうかは別にして、やっぱり妹に遅れを取るわけにはいかないもんな。

 とにかく、今は文字だ。字が読めないと本が読めない。学校の授業にも置いていかれてしまう。

 でもひとつ文字を詰め込むごとに、頭の細胞が死んでいく気がするんだ。……はあ。





 一日の終わり。

 頭の中にカタカナの形を浮遊させ、疲れた顔で歯磨きをしていたら、バスルームからリィが出てきた。

 薄い青のバルーンスリーブのパジャマを着たリィは、相変わらずぽやーっとした眠そうな顔をしている。まあ、今は本当に眠いんだろう。朝から晩まで勉強に修行にと頑張ったからな。

 風呂上りで濡れたままのハニーブラウンの髪は緩やかにうねっている。リィはちょっとだけくせっ毛なんだ。

 俺はこっちのくるくるした髪型の方がリィに似合ってると思うんだけど、リィは真っ直ぐにしたいらしく、朝の修行の後、琴音からもらったヘアアイロンで一生懸命整えている。そんな姿を見ると、リィも女の子なんだなー、と思う。稽古中は容赦なく殴ったり蹴ったりしてくるのにな。

 その妹は真っ直ぐこちらへ向かってくる。

 少し右にずれて隣を空けてやると、洗面台に置いてあるコップからピンクの歯ブラシを取り、俺と同じように歯磨きを始めた。

 髪、濡れたままだと風邪ひくぞ、という意思を込めてリィの髪を指先で弾く。

 リィは「ん」とだけ返事して、シャカシャカと歯磨きを続行。乾かす気はあるのかないのか。

 ないなら後で俺がやってやるか。リィは俺よりも抵抗力が弱いから心配だ。

 旅をしているときも、星を渡るたびに熱を出していた。俺は半日もすれば回復するけど、リィは長引くんだよな。

 すぐ良くなる俺に、母さんは優しい顔で「シンは強いのね」って言って頭を撫でてくれた。父さんは「馬鹿は風邪ひかないんだ。良かったな!」って爽やか全開な笑顔で言った。裏拳で鼻っ柱をぶったたいておいた。

 それはさておき。

 俺はいつもの通り病気に罹っても軽く済むだろうけど、リィはそうじゃない。酷くならないように気をつけてやらないと。

 いざとなれば精霊召喚も考えないとかな。俺は血に頼ってるから、こっちの精霊の召喚はうまく出来そうにない。ミルトゥワから喚び出すにはまだまだ修練が必要だしな。でも癒し系の精霊くらいは召喚出来るようにしておきたい。リィのために。

 ……なんて思いながら鏡越しにリィを見ると、ぱっちりと開いた翡翠色の瞳と目が合った。

「……ん?」

 なんかビックリしてるみたいな目だな。どうした。

 鏡ではなく横を向いてみると、リィも横を向いて俺を見た。

 歯ブラシをくわえたまま目を見開くという、なんか間抜けでかわいい顔をしたリィと見つめ合うこと数秒。

 と、突然に。

「うひゃう!?」

 さわっと脇腹を摘まれた。更に上に向かって脇下まで撫でられた。

「ひょほおおおー! にゃにっ……にゃっ、ひゃっ、ひゃぎゃー! りぃぃい!」

 更に二の腕やら首やら肩やら胸やら、さわさわ、さわさわ。

 触り方が優しいので、非常にくすぐったい。最初に一番弱いところを攻められたせいで、他の場所も過剰反応してしまう。

「なんらよ! ひゃわるにゃらもっとがっちゅりしゃわれ! ひょのしゃわりかちゃはやめっ……うっひょおおっ、あふわああああっ、りーふぁあああーああぁんげほっ、ごふごふおっ、おえええええー」


 ……なんか知らないけど、妹に真顔で襲われたよ。

 別に襲ってきても返り討ちにしてやるからいいけど、歯磨き中はやめろ。吐くぞ。


 サニタリールームで大暴れした後、俺たちはリビングのふかふか絨毯の上にうつ伏せになって向かい合っていた。

 ちなみにここは橘邸の客室。

 城のように広い屋敷の一番西側に位置し、ダークブラウンの落ち着いた色の床に、アイボリーの柔らかい色の絨毯と壁に囲まれた、居心地の良い空間だ。

 広いリビングの端には簡易キッチンがついていて、キッチン隣の奥がサニタリールームで、リビング側から二つの寝室へ行ける。もうここだけで立派な家だ。俺たちには勿体無いくらいの広さがある。

 ちなみに一階だから窓から直接庭に行けて、朝の修行の後、すぐにシャワーを浴びに戻ってこれるのが便利だ。


 それで、頬ずりしたいほど肌触りのいい絨毯にうつ伏せに寝転がって、何をしているのかと言うと。

「いいか?」

 真っ直ぐにリィを見つめて訊ねると、リィも真剣な目でこっくり頷いた。

「うん」

 俺とがっしり右手を繋ぎ合わせたリィは、かなりやる気だ。眠そうな目が眠そうじゃなくなってる。繋いだ手からも闘気が感じられる。

「じゃあ、行くぞ。レディ……ゴウッ!」

 声と同時に、右手を中心に全身に力を込めた。リィの方からもぐっと力が入り、繋いだ手は中央で押し合いが始まった。

 これは腕相撲だ。

 なんだか知らないが、散々俺の身体をまさぐったリィに勝負を挑まれた。

 妹の考えていることがさっぱり分からない。でも挑まれたからには全力で受けて立つ。

「ぐ、ぐ、ぐ」

 歯を食いしばってリィの手を押し込む。

「ん、んぅ……」

 対するリィも、顔を赤くしながら耐えている。ちょっと前まではそこから動かなかった。どれだけやっても決着はつかなかった。

 でも今は違う。

 しばらくリィは耐えていたけれど、あっという間に手の甲を絨毯につけた。

「おしっ、俺の勝ち!」

 余裕の笑みを向けると、リィはむうっと頬をふくらませた後、さっと左手を出してきた。

「……左」

「え?」

「左も、やるの」

 リィの瞳はまだ闘志に燃えていた。

「よっしゃ。来い!」

 俺たちはまたがっしりと手を繋ぎ合わせると、身体をプルプル震わせながら静かに戦った。


 結局、左も俺が勝った。

 リィは手の甲を絨毯に付けられた瞬間、ころん、と仰向けに転がった。そのまま天井のシャンデリアを眺めながら苦しそうな息を整える。

 起き上がって見下ろすと、やっぱり悔しそうに眉根を寄せた。

「……負けた」

「はは、当たり前だろ」

 なんて笑いながらほっと一安心だ。

 勉強は仕方ないとして、組手でも負けてんのに純粋な力勝負で負けたら立ち直れなくなるからな。兄としての面目が立ったので、機嫌よく妹の頭を撫でてやった。

 はにゃー、と擬音がつくような微笑みを浮かべて目を閉じるリィ。気持ちいいらしい。サラサラと指通りのいい髪を指先で弄ぶのは俺も好きだけど。

 湿り気を帯びた髪に、そういえば乾かしてやらないとと思い立ち、リィを立たせてソファに座らせた。